自分を精神的に痛めつける支配的な異性にばかり惹かれる、その仕組みがわかるまで、真剣に先祖の呪いかと思った。
だがそうではなく、自分の価値観を押し付ける母親による刷り込みだった。

負の連絡。

わたしの両親は、お互いを尊重し、人間として対等に向き合っている男女関係の見本となる親ではなかった。
常にお互いが相手を罵り、コントロールして、都合よく利用しようとしていた。そういう意味ではお似合いの自己愛同士だ。相手への気遣いや、純粋な思いやりや優しさなんて見たことがない。

父親の家族のことは、興味がなかったので、よく知らないが、弁護士からもらった資料を見たら、弟が自殺していたり、自身の子供を幼い時に一人なくしているようで、あまり一般的な家とは言えない印象だった。

だが、そんな辛い思いをしているのに、何の罪悪感もなく不倫をして、きちんと避妊もせず、30過ぎた独身のバー経営の妙齢を通り過ぎた女性を二度も妊娠させるという無責任ぶり。危機意識がない。傲慢で舐めてるとも思える。
ここでもやっぱり、他者に無関心で自分のことだけ。

そんな楽しいだけだったはずの不倫ライフも、息子の大学受験で取り寄せた戸籍謄本に、認知されたわたしの名前を発見した息子と妻に露見する事となる。

青天の霹靂。

当然、何かの間違いだろうと訝しがる息子と妻に詰められた父親は、家族ぐるみで付き合いのある共同経営者の友人のせいにした。
「友人の不倫で出来た子どもを、自分が代わりに認知した」とあり得ないその場しのぎの嘘をつき、息子が相手の家に乗り込み殴るというとんでもない修羅場を引き置こした。
こう言うところにも、如実に人間性と特性が出る。自分を守りたい、それだけ。
彼もまた常に、俺は絶対悪くないという無反省な自己愛性人格障害的人間だった。

物事へのこだわりや、他者への共感力のなさを考えると、やはり彼にも発達障害的な気質を感じる。
ま、そういう背景を考慮しない場合、純粋に、クズと言われても良い部類の人だと思う。
恐らく無自覚に男尊女卑でモラハラ気質。

だが、そんな人間でも、その自己中ぶりで仕事で成功することがある。
人望があったかどうかは、甚だ疑わしい。
何故なら常に自分の自慢と、他人の悪口ばかり言っていて、真の友達がおらず、俺より目立つ人間はみんな嫌いと平然とわたしに言い放っていたから。
いわゆるナルシストというやつだと思う。

芸能の分野で突出すればよかったのに。
発達的ナルシストは、あるポイントを超えると、「子どものように、自分の欲求に正直なチャーミングな人」として、「最低だけど、才能があるし、何だかんだ心底憎めないから、もうしょうがないわね。」という特別枠に移行できるのだ。

そんな自分の両親の人格に絶望し、そんな人々の子どもである自分の現実に目の前が真っ暗になり、立ちくらみがした。
子どもに対する愛情表現もほとんどなかったところを見ると、彼もまた、親の愛情を感じずに育っているかもしれない。
子どもも植物も魚も動物も、育てたように育つと思う。真に親に愛されて育ったのに、その子どもの今が幸せでないのなら、何かがおかしいのだ。

わたしの母親は父親を憎みながら、生活費の全てを依存していた。相互利用とも言う。
最近いとこに聞いてわかったことだが、そんな母親の両親は、これもまた発達障害でネグレクトだったのだと感じた。

10人兄弟で貧乏。子供の人生にも教育にも興味がなく、貧乏なのに無計画に子供を産み、教養もない。そしておきまりの人生開拓に対する思考停止。
子供に興味がない親に放置されて育ち、親の関心や愛情を感じることなく育っている母親と、その兄妹たち。
そのことに無自覚であることが、彼らの負の連鎖から抜け出す事が出来ない思考停止をさらに強固にしている。

まあ、まともな見本がいなかったのだから、仕方ない。
あり得ない言い訳や、暴言暴力が通用しない外の世界で働けず、自分を優先してくれる人としか付き合えず、嫌われても反省できず、都合の悪いことは人のせいなので、精神的に成長しない。

母親の上の姉のうちの一人は、手に職を持ち、自立的ではあったが、自己愛が強すぎて人と上手くやれず、いつも攻撃的だった。
もう一人は、思考停止で自立とは対極のお花畑。攻撃的ではないが、自分の見たい世界しか見ない。それ以外は無関心。

若い時は、とても綺麗だったのだろう。
この人だけは、裕福な台湾人の夫に溺愛されて何不自由なく暮らして天寿を全うした。
深く考えない代わりに、環境に逆らわないので、夫の手配で現地で台湾語を習得し、いつもニコニコしていた。いわゆる天然系。
夫の父性が強く、可愛くてバカな女で愛され守られながら生きられて、一族で一番幸せだったと思う。台湾であれば、日本人は生きやすいし、日本では弾かれる協調性のなさも目立たない。

共感力のない発達障害者や自己愛性人格障害者は、割と海外が向いている。
どうせ周りに馴染めないのなら、海外に行って、言葉を習得して、それを生かした仕事に就けば独りでも困らない。
研究職や専門職で、独りでやれる専門性の高い仕事を選べば最高。個を極めれば、独りで生きていける。
一番向いていないことは、人と協力してやる仕事。

さて、母親の妹はと言うと、、。
これまた非常に好戦的で、不倫略奪で未婚のまま子供を二人も産んだ。もちろん相手の妻に対する罪悪感などない。
母親父親を含め、自己愛性人格障害者は、不倫率が高く、人を不当に利用したり、マウントするので同性の友達がいない。
口はたつし気が強いのと裏腹に、実際の人生に対する自立力が低く、無計画で思考放棄している。
他者への共感力はゼロではないが、根拠なくプライドが高いので同性に嫌われる。

その略奪未入籍夫にも計画性がなく、きちんと離婚すらせず、経済力もなかったのに、将来を真剣に考える事を放棄して、彼女自身が働くということをしなかったので、老後、夫無年金、貯金ゼロ、借金まみれとなかなかに全部入り。

こうして並べてみると、呪いである可能性を除いた場合、母親の兄弟の働かないタイプの人々の共通点は一つ。

他者に依存的で思考停止している

自分の人生は、自分以外の誰かが何とかしてくれる、何とかするべきと思っている。
思考を放棄している。
だからうまくいなかければ、いつも人のせい。流されるまま。

わたしにはこれらの全てが呪いに見えたのだ。
呪いじゃないなら何なんだと思った。
自分ではどうにも出来ない、話の通じない支配的で依存的なひたすら自己中心的な人々の塊。

タイムリーな事に、こんな事を書いていたら、ちょうどモラハラアダチル負の連鎖、虐待、無理解、孤立と孤独をテーマにした全部入りの集大成のようなドラマの最終回を見ることとなった。

人間、知らないことは出来ないし、食べたことののない料理は作れない。やったことのない事は、誰かに教えてもらうか、自発的に自分で学ばなければ出来ない。親に何か建設的なことを教えてもらったことはなかったが、反面教師にはなった。

自尊心と自己肯定感が壊滅的に低いと、人に助けを求めることが出来なくなる。
人に下に見られて当然。
何の価値もないどうしようもない自分、まともで立派な他人と、惨めで無能な自分が違いすぎて、集団で孤立する。
こんなに人よりも物凄く劣っている無能な自分には、何の価値もない。
支配的な人間の思惑や心理的虐待に気づけず、自動的に従って、自分の人生を切り開くことを真剣に考えることを放棄してしまう。

人に対して八つ当たりやマウントする人は、往々にして本当の友達がいない。友達ごっこしている人はいても、本当に困った時に、誰も助けてはくれる人はいないだろう。

相手を貶めて、傷つけて支配して、無価値でダメな人間だと思い込ませることで、自分の価値をあげて、自分から離れていかないようにしようとする。
自分の不安を自分で解決できず、人に向けることで、自分の問題を直視しないで済む。
自分を簡単に見捨てない相手にマウントして、自分の力を感じたい。
そういう愛し方、関わり方しかできない人間もいる。
というより、本当はそれは自分しか愛していないという事だというシンプルな事実に気づかない。
でも、それは彼らが本当の愛を知らないから、それが愛だと思って育ってしまっているからだ。
そして、子供を愛さない親はいないなどと言う。それは愛ではないのだから、残念ながら子供を愛さない親は存在する。

傷つくならば、それは「愛」ではない https://www.amazon.co.jp/dp/4900550582/ref=cm_sw_r_cp_api_i_YL68CbPJDH7PQ

いつもゆがみ、ひずみの元にある劣等感、無価値感、自己否定感の連鎖の憎しみの向かう先は、一番関係性の中で弱いものだ。

家族であれば、配偶者や子供への支配と虐待、モラハラ、DV。他人に向かえば無差別殺人。
男性だけに限ったことではなく、妻が暴言や暴力で支配する家もある。
往々にしてそういう支配されるいいなり夫の母親は、息子を溺愛してマザコンに仕立て、自分から離れないように育てている。
息子は、母親のような支配的な女性を無自覚に妻にするが、自分を虐げている妻と母が同一のものだとは気づけない。
それが愛だと信じている。
息子の嫁ごろしを手伝った母親なんて、もうまるっきりこれだと思う。

自分が一人になるのが怖くて、誰かにしがみつき、相手を無能扱いして自分に自信を感じたり、相手が一生涯自分に依存し、思考停止して、いいなりになることを望む。
相手への依存と支配が、愛だと勘違いする。
自分の不安の感情と自己愛、他人の幸せと価値観の区別がつけられない。
何の躊躇いも疑いもなく、自分を優先させようとする。
不当に相手を利用する。
思いやりの欠如。幼稚。
いい歳をして、自分の感情の責任が取れない。
モラハラ。一生反省しない。

今確実にわかる事は、本当に自信のある人、愛のある人は、決して人を貶めたり、利用したり、蔑んだり、下に見たり、ダメ人間だと思わせたり、憂さ晴らしで罵倒したり、バカにしたり、自分の価値観を押し付けたり、モラハラしたり虐めたりしないということ。

モラハラ野郎やマウント女の心の弱さ、口先だけで耳障りの良い言葉を言い近づき、利用しようとする不倫万歳な自己愛人間の本質を見抜けるようになったら、支配からの卒業だろうと思う。

それには、勇気を出して目を開けて真実をありのままに見ること。それしかない。
思考停止の呪文から回復すること。
思考停止から脱することは、人のせいにして自分で考えることから逃げることを辞め、自分の人生にしっかり向き合い自分で責任を持つということ。当然怖い。でもそれが自立するということ。
こんな簡単な人生で一番基本的なことに、アダチルはなかなか気づけない。
一生気づけない人もいる。
それはきっとわたし達アダチルサバイバーが、親から教えてもらっていないことだから。

自分は無価値で、誰からも必要とされず、世間的な幸せを望んだりする資格がない。
こんな気持ちで生き続けるように呪いの呪文をかけ続け、支配して自分の気分の安定を図ろうとする親や配偶者や恋人なんて、とっとと捨ててしまうべきだと気づく。それが一番彼らの恐れている本当に怖いこと。

一旦彼らの価値観の支配から抜け出すと、彼らの心の弱さと思いやりのなさ、自己中心性がありありと見えてくる。
そうすれば、二度と同じタイプの相手に利用されたり、惹かれたり、相手が近づいて来たりすることはなくなる。

気づいて見抜くこと。これだけ。


WOWWOW 連続ドラマ

とても勇気付けられる力強い言葉があった。
サバイバーでなくこんな心の仕組みがわかる人って、どれだけいるのだろうか。作家って凄いなぁ。演劇人て凄いなぁ。

人は言葉によって傷つくが、言葉によって回復できる。共感と相手に対する優しい視線、たったそれだけで人は、幸せを感じられる。自分はここにいていいと初めて認めてもらえたと感じられる。
そういう言葉をくれる人を選ぼう。そして、そういう言葉を渡せる人間になりたい。