虐待の本当の害悪は、その日々が過ぎたら、親との距離が取れたら、成長したら、許せたら、忘れられるようなものではない。
自尊心と自己肯定感を粉々に叩きのめす、魂と心の陵辱なのだ。

自分が自分のありのままでいられない、認められない、自分が大嫌い。
自分は劣っていて、みっともなく、誰からも必要とされない。人は誰も助けてくれない。
もっと頑張らなければ、他人から嫌われてしまう。自分は不当な扱いを受けても仕方ない人間だ。自分は、何か役立つことをしないと迷惑なだけの存在だ。
自分は、親を差し置いて、幸せになってはいけない、自分にはそんな資格はない。
自分が正しく生きるために、常に親のルールに従わなくてはいけない。

この気持ちが、延々続くのだ。

それは単なる親の勘違いの刷り込みと呪いの言葉であり、信じる必要は全くない。
だがそれに気づけずに、そういう気持ちを持って生きていると、そういう現実や相手が実際に人生に次々現れる。
本当は、自分がなく、自分の人生に集中出来ない不安教で生きている親の世界観を流し込まれて洗脳されているだけなのだ。
自分が何を信じるかは、自分で決められる。
このことに気づいて、やめて、手放して、書き換えるまで終わらない。
ただ、大概は辛過ぎて、頑張り過ぎて、気がつく前に力尽きてしまう。
鬱病や統合失調症になったり、摂食障害になったり、親と同じ自分を虐待する相手と付き合ったり、アルコールやドラッグ、ギャンブル依存で立ち上がれなくなる。