混乱している家庭内では、問題を冷静に見極め、解決のための手段を考えるということが出来ない。そもそも何が問題なのかもわからない。

大体の場合、両親が場当たり的に生きていたり、世間に自分をよく見せることだけに必死だったり、何らかの依存症だったり、反社会的な仕事をしていたり、父親が母親に暴力を振るったりと、およそ自分たちの人生にしか興味なく、子どもの気持ちに寄り添えず、本来、子どもを守るべき立場の親が、子どもを利用し、お金を稼ぐ手段にさえする。

その一方で、外からは理想的な家族に見えていても、家の中は、両親の独善的ルールと支配に満ちていて、親に気に入られるために、機嫌をとるが如く、一生親の理想にしがみつくことでしか生きていけない子どももいる。


そんなことに気づきだした時、突然母親が、認知症になったと連絡が来た。

わたしが自身の回復に向けて歩みだしたと同時に、『わたしを虐待し続けた母親 』という現実に再び引き戻されることになったのだ。


20歳そこそこで家から脱出し、逃げ続けて自立する事で、何とか生きてこられた。

それなのに、まだわたしを苦しめるのか?

軽い目眩を感じた。


まだ終わっていなかったのだ。

わたしはまだ、過去から解放されていなかった。

というより、過去にすらなっていなかった。

虐待の記憶は、今もなお、わたしの中で鮮明に生き続けていたのだ。その傷はまだ癒えてなどいない。ずっと血が流れている。


わたしは、母親を愛したかった。

わたしは、母親に愛されたかった。


今だに『母』と呼ぶことに激しく抵抗感があり、それができないでいる自分に気づいた。


自分を虐待し続けた、現在認知症となった母親の介護という容赦ない現実。

結局逃げ切れなかったという無力感。


感情を落として、淡々と事務的にことを進める為に、感じたことをブログに書いてみることにした。自分の心が感じていることをきちんと理解してあげようと思う。