あの時からの時間の中で。 | 土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」Powered by Ameba

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こんにちは(^^)

まだまだ寒いけれど

空気はやっぱり春らしくなって

桜の枝を見ると

冬の頃よりずっと

先のほうがふんわりしていて

花を咲かせる準備を

してるんだなって実感します。

そのぶん花粉症の人は

大変な季節になってきたのかな?

どうかお大事にしてくださいね。

進路が決まったり

卒業の時期に入って

コメントにも思いをたくさん

書いてくれていて

いろいろなことを感じながら読んでます。

節目を迎えた時ほど

意外に疲れが出やすいから

体をあたためてリラックスしてください(^^)

そしてどうか、どの人も

春から見る風景の中で

充実した時間を過ごしますように…!!!

 

今日は3月11日です。

東日本大震災から6年が経ちました。

あっという間だと感じるのは

私が東京に住んでいるからだと思います。

6年といえば

0歳の赤ちゃんが

春からは小学生になるまでに

成長するほどの時間。

震災と闘う方々にとっては

とてもとても…長い時間だと思います。

避難生活を続けている方々も多く、

時が止まっていたり

時間を感じないかたも

いらっしゃると思います。

 

6年という時間を実感する時期に

私は映画のキャンペーンで

福岡と仙台に伺うことが出来ました。

たくさんの方々が

眩しい笑顔と、あったかい拍手と

優しい声で応援してくださって

こんなにキラキラした風景を

観ることが出来る自分は

なんてしあわせ者で

どうやって恩返しをしたらいいのだろうと

心から思った二日間だったのですが

昨日、仙台では

石巻市ご出身のかたと

お話させていただいたり

仙台空港の今を拝見して、

この6年間という時間について

あらためて考える機会を

持つことが出来ました。

そして思ったのですが…

毎年、この日は追悼の気持ちを

考えてきたのですが

今年はその気持ちと一緒に

この6年で自分は何を感じたのか

これから自分が何をしていきたいかも

考えたいと思いました。

 

なぜなら、この6年間のことを

人は人の数だけ様々に感じていて

忘れてはならない、忘れたい、

忘れられない、忘れてしまいたい、

いろいろな思いで

今を生きていらっしゃると思うのですが

どんな気持ちであったとしても

生きることが出来ている以上は

未来に向かって

時間が進んでいる…

そのことを

石巻市ご出身のかたと

お話をしたときに

とても強く感じたからです。

 

そのかたは、

おみやげとして

お赤飯の愛らしいおまんじゅうを

持ってきてくださいました。

お話をさせていただく中で

「全てが流された」と

おっしゃっていて、

目の前でおっしゃるその言葉は

たった一言だったけれど

あまりにも重い…本当に重い言葉でした。

一言のなかに、深くて大きい

とてつもない悲しさと悔しさがあって…

そのあとに、

まるで春の花が咲いたかのような

可愛らしいお菓子を

ひとくちいただいた時、

あの瞬間から6年という時間の中で

どれほどの方々が

どんな思いと闘って

熱意と伝統と場所と方法を取り戻して

今、目の前にあるこのお菓子を

地元の銘菓として

再び命を吹き込んで

羽ばたかせたのだろうと思うと

本当に胸が熱くなりました。

その願いや思いが

お菓子の優しい甘さと一緒に

心に流れ込んできたように感じて…。

そして、じゃあ私は

この6年という時間の中で

何を思って仕事をして

何を積み重ねてきたんだろうと感じて

思い返してみたんです。

 

東京も揺れて街が暗くなって

電車が止まったあの日、

毎年思い出すのだけれど

私はドラマ「鈴木先生」の

撮影をしていました。

教室の場面で、あの席に座って

長谷川博己さん演じる

鈴木先生を見ていた時に

あの瞬間がやってきました。

スタジオにはたくさんの機材があって

本物の教室ではなくセットなので

天井にもいろいろなものがあります。

そういったものがぶつかる音、

倒れてくる音には

明らかに重くて大きい金属音があって

今だから書けるけれど

全員が無事だったのは

奇跡だったんじゃないかと

感じるくらいの時間でした。

落ち着くよう声をかけてくれる長谷川さんと

守ってくれようと必死になって下さった

監督やスタッフさん方の声、

でも、その声が耳に入らないほど

私たち2Aは慌てていました。

当時、一番年上だったのは

16歳だった松岡茉優ちゃんと私で、

今は背が伸びた北村匠海くんも藤原薫くんも

まだ私と同じくらいの背で

今考えたら本当にみんな、

本当に子どもだったんだと思います。

 

その子ども達は、スタジオが危ないので

日活撮影所の食堂に集められたのですが

そこで初めてテレビの画面を観て

東日本に何が起こったのかを知りました。

皆でその画面を観たまま

声も出なかったのを覚えています。

そこから電気の事情などがあって

撮影は期間を決めずに中断したのですが

観て下さったかたは御存知だと思うけど

「鈴木先生」は

意欲作とか問題作といわれる内容の

作品だったこともあって

撮影が再開されるのかどうか

正直、分からないのではないかと感じてました。

当時はそういう判断が

とても難しい時期だったからです。

約1ヶ月後、考えに考え抜いた

監督はじめスタッフさんがたからの

お手紙が届きました。

「たくさん考えましたが

今、この時だからこそ

この作品を届けようと思います。

いつか東日本の方々にも

届くと信じて…。」と

お手紙には決意が書いてありました。

話し合いは

その結論が出て終わったのではなく、

ドラマから始まった「鈴木先生」が

映画としてクランクアップするまで、

監督もスタッフさんがたも

キャストの人達も

東日本大震災のことを

ずっと心に思っていました。

復興のいろいろな面での難しさを

報道で知るたびに心がつかまれながら

いつか震災と闘う人達にも

この作品を観てほしい

その人達の心に届けたい、という思いを

込め続けた現場でした。

 

その時の監督が

映画「兄に愛されすぎて困ってます」

を撮影してくださった河合勇人監督であり

映画「orange -オレンジ- 」

を撮影してくださった橋本光二郎監督です。

ですので私は、この2作品では特に

「鈴木先生」で感じたこと、学んだこと

そしてあの日、

日活撮影所の食堂で受けた衝撃や

そのあと頂いた手紙と一緒に感じた決意…

そういった思いもこめて演じました。

 

あの年は、震災をきっかけに

いろいろなことが見直されました。

今まで普通にあると思っていたものが

本当に必要なのか?と

見直される中で

エンターテインメントの世界の

たくさんの先輩方や創り手の方々が

「この時に、エンターテインメントは

本当に必要なのか」という迷いや

「今、自分達に何が出来るのか」

という問いかけや決意や提案を

たくさん意思表示なさった時でもありました。

その動きは私にとっても

とても心に残る動きで

いろいろな方々の

いろいろな考えを拝見したのですが、

「エンターテインメントだからこそ、出来ることがある。」

「演技だからこそ、伝えられることがある。」と

力強くおっしゃった

役者さんがたやアーティストさんがたの言葉に

刺激をいただいて、

「自分は何が出来るんだろう」と

自分なりに考えながら

演じた6年間でもあったと思います。

 

私は作品を選ぶ立場にないので

オーディションに受かった作品

お話をいただいた作品

全部に挑戦をしてきたのですが

それは作品を選べないという

立場的な状況が一番大きな理由だったけど

あの日を「撮影所で」体験したことが

大きなきっかけにもなっていました。

人としても役としても

生きていることが奇跡。

そう感じたのが、

私にとってのあの日だったからです。

 

そうやって

必死に役として生きてるうちに

気がついたことがあるんです。

戦時中、現代、江戸時代、未来、宇宙、

いろいろな時代の

いろいろな設定の

いろいろな作品に出会ったのですが

原作の実写化でもオリジナルでも

ドラマでも映画でも、

「生まれ落ちた時代の中で

自分の居場所を見つけようと

あがく人達を描く」という点だけは

変わらないんですよね。

そんなの当たり前なのかもしれないけど

私は何でも気がつくのが遅いので

気がついた瞬間、とても驚いてしまって、

そして、

自分が何を伝えるべきかを

その時初めて少しだけ

感じることができたような気がしました。

 

時代によって

翻弄のされかたは違うのだけれど

一見ハッピーに見える

映画「PとJK」のカコちゃんも

「兄こま」のせとかも、

現代の闇に飲み込まれているような

映画「人狼ゲーム ビーストサイド」の由佳も

映画「赤々煉恋」の樹里も、

時代の波に必死にあがいた

映画「日輪の遺産」のスーちゃんも、

そして「まれ」の希さんも

時代背景や出会う運命に

それぞれ違いはあるのだけれど

「生まれ落ちた時代の中で

自分の居場所を探している」という点では

全然、変わらない。

そしてそれはきっと、

どんなに作品であっても

どんなに設定がありえなくても

作品を観て下さる人との

最大の共通点だとも思います。

 

それが、

私が震災の日から考えてきたことの

一つの答えだし

これから伝えていきたいことの

一つなのだということを

今日は書きたいと思いました。

 

昨日の仙台の舞台挨拶では

現役の女子高生の人が二人、

MCを担当してくれたんです。

舞台挨拶のMCって

時間も限られている中で

いろいろな質問を

会話のバランスを見ながら

進めなければいけないので

私とか真っ白になったり話しすぎたり

いつもMCのかたにご迷惑かけていて

申し訳ないなと思ってるんですけど、

その大役を、女子高生のお二人は

本当に軽やかに気持ちよく

担当してくれました。

震災の時、彼女たちは

10歳だったと思うんです。

いろんなことを感じて

育ってこられたと思います。

その人達とこうやって

舞台挨拶の場で仕事をすることが出来た…

人生って本当に

いろいろな意味で

何が起こるかわからないと思いましたし

昨日出会った仙台の方々の中には

「鈴木先生」や「orange -オレンジ- 」を

観て下さっている方々もいて

本当に嬉しかったんです。

伝わっていましたよ、と

河合監督や橋本監督はじめ

スタッフさんがたにお会い出来たら

いつかお話したいなと思ったし、

その当時からこのブログを通して

応援して下さってる方々にも

お伝えしたいと思いました。

 

前もブログに書いたけど

演技の仕事は

永遠の片想いなんです。

伝えたい人達に

伝えられるのかどうか

伝わったのかどうか

本当のことは、永遠に分からない。

でも、これからも

6年前に感じたいろいろな思いを

忘れることなく心に刻んで、

伝わりますように…という

願いだけは込め続けて、

演じていこうと思います。

 

そして、

石巻市の大切な心の味…

本当にありがとうございました!

この味を噛みしめながら

私は演技の世界を

これからも生きていきます。

 

写真は、今日の海。

次の作品の世界へ向かう途中に

出会った海です。

この日に海の写真を載せるのは…

と考えたのですが

ここ1年ほどで

いろいろな報道番組や

ドキュメンタリーを通して、

海という場所に対して

思いを送られている方々の姿を

拝見することが多くなったので

心からの願いをこめて

載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな空でも

その向こうには青空と太陽があって

夜には星と月があるように

どんな時もその先には希望があると

信じたいなと思います。

どうかたくさんの人にとって

あたたかい未来でありますように…!

ごきげんよう。

 

 

*… tao …*