命のために出来ること。 | 土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」Powered by Ameba

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こんばんは。たおです。
いつものように、こうやってブログを書けていることが、
どんなに貴重なことなのか、今、すごく感じています。
11日に、とても大きな地震がありました。
そのあとも長い間、かなり強い余震が続いて起こっています。
皆さんの住んでいるところは大丈夫でしょうか?
そして、皆さんは、御無事でしょうか?
ブログに心配のメッセージをいただいていて、とてもありがたかったです。
11日の震源地に近い宮城県・岩手県・福島県、
その次の日の朝方に起こった地震の長野県・新潟県…
東京でもまだ余震が伝わってます。
テレビのニュースや新聞を見ると、とても危険な状況が続いていて、
地震発生時の映像や、避難をされている方々の映像、
発電所の報道など、信じられない映像ばかりで、心が苦しいです。
発電所の中や災害地では、映像では映らなくでも、
自分の命と引き換えに必死に作業や救助をなさっている方々がいると思うし、
避難をされている方々や救助を待っている方々は、
想像を超える苦しさや悲しさの中で耐えていらっしゃると思うし…
こういう時に、自分の思っていることだけを
ブログに書いてしまっていいのかどうか、考えたんですけど、
いつも自分の気持ちを書いてきたので、書こうと思います。

地震の時、私はちょうど『鈴木先生』の撮影中で、本番直前でした。
スタジオのセットでの撮影だったんですが、
本番!ってなった瞬間、机が小さく揺れ始めたので、
最初は、誰かが自分の机を揺らしているのかな?って思ったんです。
他の子も「?」という感じで周りを見てたんですけど、
誰も揺らしていなかったので、あれっ!?地震?となって、
助監督さんに「地震です。」と言ったんです。
そしたらその瞬間から、どんどん揺れが強くなって、
セットもすごい勢いで揺れて、物がぶつかる音も聞こえて…
セットの中には生徒のほかに、スタッフさん、鈴木先生がいらしたんですが、
「とにかく机の下に隠れろ—!!!」と声をかけて下さって、
地震が落ち着くまで、ちょうど学校の避難訓練でするように、
机の下に入って、地震が落ち着くまで待ちました。
セットというのは、どこでもそうなんですけど、
いろいろなものが天井からつるされているし、照明もあるし、
地震の大きさも生まれて初めて体験する大きさだったので、
揺れている時は、このまま揺れ続けたらどうなっちゃうんだろう、
家族大丈夫かな、友達やお世話になったかたは、家の犬や猫は…
みんな無事でいてくれますように…!!!と、
いろんな思いが頭をよぎって、すごく怖かったんです。
みんな同じ気持ちだったようで、泣きながら机にしがみついている子もいて、
どうか揺れがおさまりますように!と祈りました。
一回落ち着いてから、外に出たんですけど、
私はもう震えてしまって、早く歩くことが出来なかったんです。
そんな私や他の女の子たちを、大人の方々や男子生徒の子たちが、
支えてくれました。
私が一番年上なんだからしっかりしなきゃ!って何度も思ったんですけど、
やっぱり怖さに負けてしまって…
地震の音、揺れ、怖さに、心が全部飲み込まれてしまっていました。
スタジオでは外の様子がわからないし、テレビもないので、
地震の大きさや震源地が全然わからなかったから、
なおさら不安が大きかったのかもしれないです。
一度控室に戻ることになって、そこで親や姉に連絡してみたんですが、
父にも母にも姉にも電話が繋がらなくて、メールも届かなくて、
「最悪だ…どういうこと?」と思っていたら、
2回目の地震が起きて、これもまたすごく揺れたんです。
その時は、1回目の地震で不安があった上に揺れたので、
気持ちがいっぱいいっぱいになって耐えきれずに泣いてしまう子もいたし、
「いやだよー…」と言っている子もいたし、
みんな、不安と心配で押しつぶされそうでした。
揺れがもう一回落ち着いた後、控室も危ないということになって、
もう一回外に出たんですけど、やっぱり親と連絡がとれなくて…
私の家はマンションなんですが、
家の中はリフォームしてあるので新しいんですけど、
建物は45年前に建った建物なので、大丈夫なのか本当に心配だったんです。
でも時間が過ぎていくにつれて、少しずつ親と連絡がついた子が出始めて、
その子たちは嬉しいのと緊張が切れたのとで、号泣でした。
私もやっと父・母・姉、そして事務所の方に連絡がついた時は、
安心して、涙が止まりませんでした。
人って、こんなに涙が出るんだ、とビックリしたぐらい…
それだけ不安と緊張が強かったんだと思います。
そのあと私服に着替えた人から食堂に行って、いったん全員で待つ、
ということになって初めてテレビを観たら、大津波が街を襲っている映像で…
信じられなかったです。

それから私は、母が迎えに来てくれて、帰ることが出来ました。
いつもなら1時間あれば帰れる場所なのに、車も人もいっぱいで、
4時間くらいかかって帰りました。
甲州街道という大きな道を通って帰ったんですが、
夜遅いのに、ものすごくたくさんの人がどんどん歩いているんです。
品川とか、新宿とかの都心から歩いてくるので、
足を痛そうにしている人もたくさんいました。
途中でコンビニに行ったんですが、トイレに人がたくさん並んでいて、
商品を店員さんが箱から出して、一生懸命並べていました。
全部の光景が初めて見る雰囲気で、悪い夢を見ているみたいな感じでした。
電車が止まったので、弟も父も歩いて帰ってきたので、
家族がそろったのは23時くらいでした。
でもこの日、私が卒業した中学の後輩は卒業遠足で鎌倉に行ってて、
午前1時にやっと帰ったんだそうです。
それに、私は家族が迎えに来たけど、
遠くから撮影に来ている子には帰れない子もいたので、
スタッフさんが泊まり込みでフォローしてくださったそうです。

私たちは震源地に近いわけではないのに、家族に会うにもこんなに大変で、
こんなに恐怖を感じたんだから、
震源地に近い方々は、本当に、どんなに恐ろしかっただろうと思うと…
言葉になりません。
被害に遭われた方々の中には、
もしかしたらウルトラマンゼロの映画を観て下さったり、
雑誌や絵本を読んで下さったかたがいたかもしれない。
このブログを一回でも見て下さった方がいたかもしれない。
そう思うと、心が苦しすぎて、言葉にならないです。
本当に…自然は怖いです。
自然は素晴らしいんだけど、今回は怖い、ひどい!と感じました。
被災なさったかたが、これ以上消耗しないよう、
少しでも早く日常に戻ることが出来るよう、
一人でも多くのかたがご無事でありますよう、心から祈っています。

それから、私が今出来ることがあれば、
学生ですけどやって行こうと思っています。
命のために自分が出来ることが何か、
はっきりわからないのが悔しいんですけど、
昨日は、卒業した中学の後輩が、
学校区にある児童館で被災地に送るタオルを集めていると聞いて、
弟に持って行ってもらいました。
その時私も渋谷まで一緒に行ったのですが、
渋谷のスクランブル交差点が、ほとんど真っ暗だったんですよ。
いつもなら周りにあるビルの大型スクリーンとか広告などで、
夜でも昼みたいな交差点なので、一瞬ビックリしましたが、
地震の影響での節電だというのは、すぐに気が付きました。
スターバックスや109など、早めに閉まっているお店もありました。
節電は、今日から東京でも順番に停電が行われるみたいなんですけど、
自分でも出来ることなので、工夫していきたいです。
募金などの呼びかけにも、参加していきたいと思います。

それでは、まだ余震が続いているので、東北から関東のかたは、
どうかどうか気を付けて下さい!私も気を付けます。
そして、地震の揺れを感じていない地域のかたも、
まだまだ寒いので風邪などひかないよう、
どうか気を付けて下さい。
コメントで心配してくださったかた、本当にありがとうございました。


たお