私の鬱の元は昨日書いた2001年

父親が他界したことに始まります

きっと

 

20代からずっと

私は仕事に打ち込んでました

 

20代は数少ない恋愛経験の中で失恋したり

都内に引っ越して急性期医療に携わったり

20代後半で母親が大腸がんになり

地元に戻ってきましたが

初めて職場が嫌で仕事を辞め

フリーになり

今の病院に就職したら

がん看護を学びたくなり

1年で退職し大学院に入学したり

忙しない20代でした

 

がん看護専門看護師になれば

知識・技術が身について

悩みが減るだろうと思ったら

なったらなったで

質の違う悩みが生まれてきました

 

大変な患者さん以上に

看護師を悩ませるのは

医師の存在です

(笑)

 

本当に色々な医師がいます

看護師は多職種と一緒に仕事をしていますが

現在も

医師がピラミッドの頂点にいて

対等な立場ではありません

もちろん

医師の中には対等な立場で関わってくれる

稀有な存在もおりますが

・・・

負の影響は

高き所から低き所へ流れるのです

THE ヒエラルキー

 

専門看護師の対象は

どの分野も

複雑困難な患者・家族でありますが

医師が複雑困難なことが多々あり

正直

「お前が複雑困難になってどうするっ」

何度つぶやいたことでしょう

 

当院だけかもしれませんが

以前は勤務後の研修会の運営をしても

超過勤務として認められませんでした

帰宅が23時になることも

・・・

また

休日にボランティア活動を

強いられていました

 

専門看護師は

看護研究の指導を

任されることが多いですが

これも自宅に持ち帰ったり

サービス残業で

看護研究の手直しを

何度となくやってきました

 

大変な問題を多く抱えた患者さんの対応

私としては

自分の力を惜しみなく発揮し

患者さんが少しずつ

苦痛から解放されると

こちらも満たされる経験を

沢山しました

 

中には

手を尽くしても

苦痛か和らがないこともありました

その怒りを受け止め続けると

無力感が襲います

 

体力がある30代までは何とかなっていたんです

しかし40代に入り

これらの状況が続き

加えて

患者さんではなく

医療関係者の問題が露呈し

腸(ハラワタ)が煮えくり返る

思いが続きました

 

人の話を聞くのが好きですが

特に上司が勤務外に私のところに来て

日々の愚痴を永遠と語ることが増えた時

正直

「私はあなたの愚痴を垂れ流す

ごみ箱ではない」

嫌気がさしました

 

その思いに気づいたときから

病院に行くと耳鳴りがするようになりました

私の耳は

上司の愚痴を聞きたくないと

サインを出すように

なんと可愛いお耳でしょう

(笑)

 

その他に

咳・蕁麻疹・痒疹・頭痛・倦怠感

私の癒しは

食後のコーヒーと甘いお菓子

ぶくぶくと太っていきました

 

あまりに太った体に様々な身体症状

ぼてっとしたトドのような体を鏡に映し

愕然

 

はじめたのが

ジム通い

疲れた体に鞭を打って

仕事に行く前にも通いました

 

それでもなかなか痩せない

私はジムを3か月で退会し

その頃流行り始めた

16時間食べないという

食事療法に切り替えました

効果はみるみる出ました

56.5㎏から数か月で48㎏まで

 

私は当初この食事療法の恩恵にあずかったと

思っていましたが

痩せてたのは

職場のストレスです

いや

ストレスという簡単な言葉で済ませたくない

(笑)

苦痛・苦悶・窮愁

・・・

等の影響もあったのです

何だかよい言葉が見つからないなぁ

 

2021年の中頃

私は腸が煮えくり返る思いを更に経験し

腸が既に出ているんではないかと思うに至り

これ以上今の立場にいたら

私は腸ぶらさげて仕事しないとならず

逃げるように

部署異動を希望したのでした

 

私がドМなのは

ここで休まなかったこと

退職しなかったことです

 

飛び出した腸を

腹に押し込め

ガムテープで補強し

仕事を続けたのでした

 

父親が死んだときと同じように

私は周囲のどの人も頼りになると思えなかった

 

夫や母親に身をゆだねるようになったのは

鬱状態になってからです

 

ド・ド・ドМ過ぎる

・・・

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昨年、私の身に起きた心身の症状と

その対処等

経験を通して感じ取ったこと

率直にしたためます。

 

興味を抱いた方は

1.専門看護師も自己の体調を見誤る①

からご覧ください。