体調が良くないことを自覚したのは
2018年頃でしたが
ずっと昔から積み重なってきたことが
古傷の小さな穴から
匂いたつ浸出液のように
でてきたのが
その頃
なので
もっと昔に立ち返り
元を辿ると
2001年
父親を胃がんで亡くした時から
始まっている気がします
保健師学校に通い始めた4月の終わり
私が20歳のとき父は死んでしまいました
人生で初めて
膝から崩れ落ちて泣く経験をしましたが
それは
柩を火葬炉に納め
ガラガラガラ
バタン
と
ドアが閉まったときでした
糸が切れる
という表現が
ぴたりと
はまりました
何か月かの在宅療養を経て
看取ったのですが
私は20歳の多感な時期で
多くの悩みもありました
しかし
一家の大黒柱が病に伏し
私は土日にアルバイトをして
保健師学校の費用を工面しながら
在宅介護もしており
正直泣く間もなく
毎日をこなしていました
膝から崩れるほど泣きましたが
灰になった父を見たあとは
今の生活を維持しなければならないと
我に返り
学校とアルバイトで休む暇も
ありませんでした
幸か不幸か
そんな生活が
父親を亡くした悲嘆を
忘れさせてくれました
今思うと
悲嘆に埋もれることを避けるための
私なりの対処だったかもしれませんが
20歳は体力の塊であり
休まなくても何とかなっていました
またその頃は
父親以外の家族も頼りなく見え
私が父親のような存在として
立ち回っていました
そして私は家族以外の周囲の大人も
私たちを助けてくれないと感じていました
もちろん振り返れば
助けてくれた人もいるのですが
その時の私は
私が欲しているまでの助けとして
受け取っていなかったのです
私は私自身を一番頼りにするようになりました
私が頑張ればそのように私が働いてくれる
他者に期待するより
一番効率的だと思ったのです
目に映る大人が嘘くさく見えてました
私が保健師学校に行きながら
保健師にならなかった理由は
色々あったのですが
保健所実習で
市民のためにというロゴの中で
胡坐をかいている
(ように見えた)
大人たちを見て
そして
当時は当たり前のようにいた
学生に意地悪な指導者の様子を見て
あーいう大人になりたくない
ということでした
大人たちへの不信感と
父親の悲嘆が関連していたのは
後になってから
分かってくるのですが
・・・
あの頃
私が生きて行く術として
獲得した
自立・自律
20歳はまだまだ子供ですから
随分と背伸びをしたものです
どっぷりと悲嘆に暮れていいときに
それに蓋をして
自分の傷を見て見ぬ振りをすると
その傷が化膿し
後々
古傷の小さな穴から
匂いたつ浸出液がでてくる
この小さな穴がなければ
体内で浸出液という
腐った異物が循環し
敗血症になってしまう
私はこの穴が開いてよかったと
今は思っています
この穴を開けるために
人生の様々な負の出来事が
細い針となって
つんつんと
古傷を突く
私の感覚からすると
古傷からの浸出液が
じわじわ
ちょろちょろ
どろどろ
どばどば
と
勢いを増して吹き出し
萎んだ状態が鬱状態
皮膚は弾力性を失い
心も
干からびている
横溝正史・江戸川乱歩好きとあって
なんて表現が薄気味悪いのでしょう
もっと美しい
女性らしい表現ができないものか
・・・
(笑)
人間は
それでも
回復するのです
そして
新たな血肉をこしらえていく
人間とは何てたくましいのでしょう
**************************************
昨年、私の身に起きた心身の症状と
その対処等
経験を通して感じ取ったこと
率直にしたためます。
興味を抱いた方は
1.専門看護師も自己の体調を見誤る①
からご覧ください。