行きつけのカレー屋さんへ。
そこは、いつもカレーの前にサラダを出してくれる。
キャベツやらトマトやら、さらにはリンゴやパインなどフルーツも盛られて。
で、今回、供されたプレートを前に、僕のセンサーが作動。
そう。
セロリセンサー。
僕は生来、厳格な両親に好き嫌いなどないように育てられたが、そうは言っても苦手なものがあって。
一つはシナモン。
もう一つがセロリだ。
どうも薬品の感じがして。
自らは積極的にはてをのばさない。
出されれば我慢して気を紛らわせながら食べる。
残すことは許されないので。
そんな酷い扱いをセロリにしてきたのだが、今回は、どうカレーと混ぜ合わせて食べようかと計画していたが、それも失礼なので、カレーが来る前に単独食を敢行した。
すると、
なんと、
僅かに美味しさが!
苦味が少ない!
これは、45歳になって、とうとう大人の味覚が開いたかと。
子供の頃は食べられなかったものが、大人になって食べられるようになるモノってある。
例えば、ミョウガ。
今では、好んで毎朝食べては、記憶の一部を解放しているけど、かつては、人の食べ物じゃないよと嫌ってた。
なんで、そんなの、お豆腐の上に載せるのと。
今では、ミョウガを食べるために豆腐や納豆を食べている感じすらあるほど、ミョウガを愛している。
30歳前後から、強烈に、好きになった。
生生姜とかもそうだ。
その流れで、45歳を過ぎて開いた味覚、ラスボスのように君臨してきたセロリ。
ここに、その牙城も陥落か、と感慨深く、でも、あまりに、苦手な僕が、ポリポリいけるので、少々、訝しみながら、店のお姉さんに聞いた。
「これ、、、セロリですよね」
すると、お姉さん、怪訝な顔で、
「はい、セロリですけど」
と回答。
ここに、牙城、陥落と喜んで、
「僕、ずっと、セロリ、苦手だったんですけど、これ、食べられます、何か、特別で新鮮なセロリなんですか??」
と問うと、横から、女主人が顔を出し、
「そのセロリね、何度も何度も水に浸して、苦味を飛ばしてるのよ、苦手なお客さんもいるのでね、そうするのウチの息子も食べられるのよ」
って。
はあ。
そのお客さんって、僕。
あなたの息子と同じ。
そういうカラクリがあったのね、開いた味覚は勘違いだったかと、ちょっと落胆。
でも、これまで、嫌で避けまくり苦手な意識しかなかったモノに見出した美味しさは、それこそ新鮮な味。
ちょっと病みつきになるかも。、
ミョウガのように。
この行きつけのカレー屋さん、僕内で日本一美味しい認定をしている欧風カレーを出してくれる店なのだけど、次回は、このセロリ目当てで来かねない僕。
それも、いいか。
初めてセロリを美味しいと感じた今日は、セロリ記念日だ。
そんな春の日、
一般的には昭和の日。