[ 足利義教の時代 ]


西南学院大学-全学部-第2問〈2011〉
問.足利義教は室町幕府何代目の将軍か。





























A.6代



中央大学-文学部-第3問〈2012〉(一部改題)
問.足利義教が、将軍権力の強化をねらい、対立する鎌倉公方を討ったが、その事件名を記せ。


























A.永享の乱



中央大学-文学部-第3問〈2011〉
問.永享の乱は何年か。


























A.1438年



東洋大学-文学部ほか-第2問〈2012〉
問.将軍足利義教の時代に起きた出来事を全て選べ。
応永の外寇
結城合戦
永享の乱
日明貿易の中止
三浦の乱


























A.
結城合戦
永享の乱



龍谷大学-文学部ほか-第1問〈2012〉
問.将軍足利義教の時代に起きた出来事を1つ選べ。
三浦の乱
上杉禅秀の乱
永享の乱
中先代の乱
応仁の乱
寧波の乱


























A.永享の乱



明治大学-法学部-第2問〈2012〉
問.1438年に反乱を起こしたが、上杉憲実が幕府側についたため、翌年敗れて自殺した鎌倉公方は誰か。


























A.足利持氏



龍谷大学-文学部ほか-第1問〈2012〉
問.足利義教を殺害した守護は誰か。


























A.赤松満祐


西南学院大学-全学部-第2問〈2011〉
問.赤松満祐が討たれた本拠地は何国か。


























A.播磨国



中央大学-文学部-第3問〈2012〉(一部改題)
上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉(一部改題)
東洋大学-文学部ほか-第2問〈2012〉
〝廿四日。雨降る。赤松、公方を入れ申す。猿楽ありと云々。晩に及び館喧嘩出来すと云々。騒動の是非いまだ聞かざるのところ、三条手負〔ておい〕て帰る。公方の御事は実説分明〔ぶんみょう〕ならず。赤松の家炎上し、武士東西に馳せ行く。…中略…
 廿五日、晴。昨日の儀粗〔あらあら〕聞く。一献両三献、( ① )初〔はじまり〕時分、内方どどめく。何事ぞと御尋ね有るに、雷鳴かなど三条申さるるの処、御後の御障子引あけて、武士数輩出て則ち( ② )を討ち申す。…中略…所詮、赤松討たるべき御企露顕の間、遮って討ち申すと云々。自業自得果して無力の事か。将軍此の如き犬死、古来其の例を聞かざる事なり。…後略…〟
※三条…三条実雅
出典:『看聞御記』( ③ )元年六月二十五日条(原漢文)
問.史料中の公方と将軍は同一人物であるが、誰か。
問.この事は何年の何という事件か。
問.空欄に適語を入れよ。


























A.足利義教
A.1441年、嘉吉の乱
A.
①猿楽
②公方
③嘉吉



[ 足利義政の時代 ]
龍谷大学-文学部ほか-第1問〈2012〉(一部改題)
問.応仁の乱で一方の主として担がれた足利義政の弟は誰か。



























A.足利義視



龍谷大学-文学部ほか-第1問〈2012〉(一部改題)
問.応仁の乱で一方の主として担がれた足利義政の実子は誰か。


























A.足利義尚



早稲田大学-文学部-第3問〈2012〉(一部改題)
問.応仁の乱で、対立した畠山氏の2名を答えよ。



























A.畠山義就・畠山政長



早稲田大学-文学部-第3問〈2012〉(一部改題)
問.応仁の乱で、対立した斯波氏の2名を答えよ。


























A.斯波義廉・斯波義敏



神戸学院大学-法学部ほか-第2問〈2011〉
問.応仁の乱で敵対した組み合わせとした適切なものを選べ。
東軍:京極・土岐 VS 西軍:一色・赤松
東軍:京極・武田 VS 西軍:大内・土岐
東軍:赤松・一色 VS 西軍:大内・京極
東軍:京極・武田 VS 西軍:赤松・六角



























A.東軍:京極・武田 VS 西軍:大内・土岐



早稲田大学-文学部-第3問〈2012〉(一部改題)
問.細川勝元は応仁の乱の勝敗が決まる前に死去したか、決まった後に死去したか。


























A.決まる前



大阪学院大学-流通科学学部ほか-第2問(一部改題)
問.応仁の乱の結果、室町幕府の支配は、どういった範囲に限られたか。


























A.山城国一国のみ



龍谷大学-文学部ほか-第1問〈2012〉(一部改題)
問.応仁の乱で活躍した集団戦法を行った歩兵は何と呼ばれたか。



























A.足軽



上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
〝当御代臨時ノ(  )トテ、大嘗祭ノ有リシ十一月ハ九ヶ度、十二月ハ八ヶ度也。又、彼〔かの〕借銭ヲ破ラントテ、前代未聞徳政ト云事ヲ此御代ニ十三ヶ度迄行レケレバ、倉方モ地下方ヘ(モ)皆絶ハテケリ。〟
問.空欄に適語を入れよ。
問.これは、誰の治世のことか。


























A.倉役
A.足利義政



[ 永享の乱後の鎌倉 ]
青山学院大学-全学部-第2問〈2011〉
問.1454年に足利成氏が殺害した関東管領は誰か。またその事件名を記せ。


























A.
上杉憲忠
享徳の乱



中央大学-文学部-第4問〈2012〉
問.足利成氏が1454年上杉憲忠を殺害し、上杉氏・幕府側と対立して起きた戦乱を何と呼ぶか。


























A.享徳の乱



青山学院大学-全学部-第2問〈2011〉
問.足利成氏が幕府からの追討を避け、本拠を移した古河は何国か。



























A.下総国



青山学院大学-全学部-第2問〈2011〉
問.足利成氏を討つために足利義政が派遣した弟は誰か。


























A.足利政知



中央大学-文学部-第4問〈2012〉
問.足利成氏を討つため派遣された足利政知は鎌倉に走れず伊豆国に御所を構えたため何公方と呼ばれたか。



























A.堀越公方



青山学院大学-全学部-第2問〈2011〉
問.堀越は何国か。


























A.伊豆国



[ 永享の乱後の京都 ]
早稲田大学-文学部-第3問〈2012〉(一部改題)
問.細川政元が退けた将軍は誰か。


























A.足利義稙(義材)



青山学院大学-全学部-第2問〈2011〉
問.10代将軍足利義稙を1493年に将軍の座から追った管領は誰か。またその事件を何と呼ぶか。


























A.
細川政元
明応の政変



早稲田大学-文学部-第3問〈2012〉(一部改題)
問.三好長慶は、誰の家臣であったか。


























A.細川晴元



[ 戦国大名 ]
上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
問.戦国時代は応仁の乱に始まり、室町幕府が滅んだ年を終わりとするのが定説だが、その終わりの年を記せ。


























A.1573年



青山学院大学-全学部-第2問〈2011〉
問.戦国大名が自らの力で支配権を確立した一定地域を何と呼んだか。




























A.領国、分国



上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
問.親類から構成される戦国大名の家臣を何と呼ぶか。


























A.一門、一族衆



上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
問.従来より、代々主君に仕えてきた人々で構成される戦国大名の家臣を何と呼ぶか。


























A.譜代衆



上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
問.以前から住んでいたが、大名の領域拡大に従って、新たに家臣団に加わった人々で構成される戦国大名の家臣を何と呼ぶか。


























A.新参者、外様衆



上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
問.戦国大名が軍事力を増強するため家臣とした村落土着の武士を何というか。


























A.地侍



上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
問.地侍が取得権を保護された年貢の中間得分は何か。


























A.加持子



上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
問.戦国大名が家臣たちの収入を銭換算する基準を何と呼ぶか。


























A.貫高制



上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
問.戦国大名が家臣たちに収入に応じて用意させた軍事的負担を何と呼ぶか。



























A.軍役



早稲田大学-文学部-第3問〈2012〉(一部改題)
問.守護の出自でない戦国大名をあるだけ選べ。
今川義元
大友宗麟
斎藤道三
毛利元就


























A.
斎藤道三
毛利元就


聖心女子大学-文学部-第2問〈2012〉
問.一乗谷を城下町とし、信長により滅亡させられる1573年まで越前国を支配していた戦国大名は誰か、氏の名を記せ。

























A.朝倉氏



津田塾大学-学芸(英文)学部-第2問〈2012〉
問.美濃加納で楽市令を実施した人物を答えよ。


























A.織田信長



上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
聖心女子大学-文学部-第2問〈2012〉
問.「塵芥集」は何氏の分国法か。


























A.伊達氏



上智大学-神学部ほか-第2問〈2011〉
問.「新加制式」は誰の分国法か。


























A.三好長治



聖心女子大学-文学部-第2問〈2012〉
問.戦国大名の家臣統制に関して、互いに対立し紛争を起こした者は、理由のいかんを問わず、双方を処罰する規定があった。これを何と言ったか。


























A.喧嘩両成敗



中央大学-文学部-第3問〈2011〉(一部改題)
中部大学-経営情報学部ほか-第2問〈2012〉(一部改題)
〝喧嘩の事、是非に及ばず成敗〔せいばい〕を加ふべし。但し取り懸〔かく〕ると雖〔いえど〕も堪忍〔かんにん〕せしむるの輩〔ともがら〕に於いては、罪科に処すべからず。然而〔しかれども〕、贔屓〔ひいき〕偏頗〔へんぱ〕を以て合力せしむる族は、理非を論ぜず同科たるべし。…後略…〟
『甲州法度之次第』
問.この史料に規定されている行為の名称として適切な語句を記せ。
問.この史料の内容について、簡潔に説明せよ。
問.この分国法を発した戦国大名は誰か。



























A.喧嘩両成敗
A.喧嘩に参加した者はその言い分に関わらず処罰をする。
A.武田信玄



中部大学-経営情報学部ほか-第2問〈2012〉(一部改題)
〝一 駿府の中、不入地の事、これを破り畢〔おわ〕んぬ。各〔おのおの〕異儀に及ぶべからず。
一 駿・(  )両国の輩〔ともがら〕、或〔あるい〕はわたくしとして他国よりよめを取、或ハむこに取、むすめをつかハす事、自今〔じこん〕以後これを停止〔ちょうじ〕し畢んぬ。〟『今川仮名目録』
問.空欄に適語を入れよ。


























A.遠(遠江)



中部大学-経営情報学部ほか-第2問〈2012〉(一部改題)
〝一 駿府の中、不入地の事、これを破り畢〔おわ〕んぬ。各〔おのおの〕異儀に及ぶべからず。〟
問.この史料の内容を簡潔に説明せよ。


























A.駿府の中において守護使の不入地の規定を破棄した。



中部大学-経営情報学部ほか-第2問〈2012〉(一部改題)
〝駿・遠両国の輩〔ともがら〕、或〔あるい〕はわたくしとして他国よりよめを取、或ハむこに取、むすめをつかハす事、自今〔じこん〕以後これを停止〔ちょうじ〕し畢んぬ。〟
問.この史料の内容を簡潔に説明せよ。


























A.家臣の子弟が勝手に他国の者と婚姻することを禁止した。



中部大学-経営情報学部ほか-第2問〈2012〉(一部改題)
〝一 たうそくに付て、おやこのとかの事、おやのとかハこにかけへし。たゝしこたりとも、とをきさかい、たんかうなすへきやうなくハ、これをかけへからす。同〔おなじく〕このとかおやにかけへからす。たゝしひとつ家に候ハゝとうさいたるへし。又時宜によるへきなり。〟
問.この『塵芥集』という分国法を発した戦国大名は何氏か。


























A.伊達氏



中部大学-経営情報学部ほか-第2問〈2012〉(一部改題)
〝たうそく(盗賊)に付て、おやこのとか(咎)の事、おやのとかハこにかけへし。たゝしこ(子)たりとも、とをき(遠き)さかい(堺)、たんかう(談合)なすへきやうなくハ、これをかけへからす。〟
問.この史料の内容について、簡潔に述べよ。


























A.盗賊を行った者については、その者の罪はその子も負わねばならない。ただし遠隔地に住み、親子で打ち合わせが出来ないならば、親の罪を子にかけてはならない。



津田塾大学-学芸(英文)学部-第2問〈2012〉

問.戦国大名が領国統治のために制定した分国法の性格を簡単に説明しなさい。


























A.家臣団統制や領国支配のための戦国大名の基本法



大阪大学-第2問〈2011〉
問.戦国大名は、領国経営のため、さまざまな政策を打ち出していった。そのうち、家臣団の編制・統制、および土地支配に関わる政策について、具体的に述べなさい。



























A.
戦国大名は一族衆や譜代衆のほかに、重臣たちを寄親とし、地侍などを寄子として配属させ、連帯責任を負わせると共に軍団編制の際の基礎とした。大名は家臣に知行を保証し、貫高制によって換算された銭に相応する軍役や諸役を負担した。また喧嘩両成敗や私婚の禁止などを規定した分国法により統制力を強化した。また家臣を城下町に集住させ、知行地との結びつきを弱めると共に指出検地によって土地や農民の直接的な支配を実現した。
(200字)