伝承館からお願いしたタクシーの運転手さんが
「お昼ごはんですか?」と声をかけてくださる
どこか決めてますか?と聞かれ、運転手さんおすすめありますか?と聞き返すと、じゃあ「おさかな市場」かなと市場の中の商業施設へ連れて行っていただきました

「おさかな市場」はお土産売り場や飲食店が何軒も入っている施設で、観光客にはとても便利な場所です
漁協が運営している食堂でお昼にします
気仙沼はらこ飯定食!
はらこ飯というと鮭といくらが基本ですが、気仙沼はメカジキが名物なのでメカジキといくらではらこ飯です。メカジキは火が通っていてふわふわ、いくらのプチっとした食感とよく合います
海の近くはやはりお魚がおいしいですね

最初の予定ではこのあと気仙沼の港町エリアを散策の予定でしたが…
ちょっと時間が足りません
駅まで歩いて戻ろうと思っていたけど、そんな悠長なことを言っていられそうにありません
どうしようか、タクシー呼ぶ?と坊君と相談していると、喫煙所でタクシードライバー風の男性と目が合いニコッとしながらヒョイと手を挙げるではありませんか。
「かーちゃん、伝承館へ連れて行ってくれた運転手さんじゃん!」
坊君に言われて合点がいき、同時に駅までお願いします。こういうのって縁です、乗っかった方が良い
駅まで戻りながら運転手さんが
「市場の近くにいても防潮堤で海が見えないのがねえ。せっかく観光で来てもらっても残念だなあ」
とぽつり。
伝承館で見た津波の映像
伝承館自体の展示
あんなにあんなに恐ろしい光景を経験してもなお、海とともに生きる覚悟というか、海は自分の暮らしの一部というか、この地で生きていく人たちのたくましさを垣間見た気がしました。

タクシーのお陰で無事列車の時間に間に合いました
最後の訪問地仙台までの切符も余裕を持って買って
…あれ?この列車は…
ポケモントレインだ!
自分の乗る列車より後に出発なのですが、すでにスタンバイ。なんだか得した気分です

事前予約していないので、普通の列車に乗って一ノ関へ、そこから新幹線で仙台へ
到着は午後4時半近く。そこからずんずん歩いて
NHK仙台放送局へ
ここの2階にも震災当時の様子を伝える展示コーナーがあります。深夜のラジオ放送でアナウンサーが語った音源とその書き起こし、当時の報道映像。
中でもアナウンサーの人たちの申し送りノートが心に残りました
被災し、避難所でこのニュースを聞く人にもより伝わる言葉をどう選ぶかをアナウンサーがそれぞれ考え、メモとしてノートに残したもの
例えば、「避難所は冷えますので温かくしましょう」では着の身着のままで避難した人には温かくする具体的なアドバイスがなく、そうは言っても…になってしまう
そうではなく、タオルでもいいから首に巻くだけで体が冷えにくいですとか、新聞紙があればお腹に巻いても温かいですとか、少しでも役に立ちそうなヒントと共に伝えましょうと書かれていて、放送現場の戦いの形を知ることができました

5時閉館ですの声に促され外に出ると、もう一つ行きたいところがあるんだとずんずんと歩き出す坊君
歩くこと20分位でしょうか
ここはどうしても来たかったんだ!と連れて来られたのは東北エリアのブロック紙「河北新報」本社ビル
「河北新報のいちばん長い日」という震災当時の記録本を読んで、どんな様子だったのかを見てみたかったのだそうです
社屋の外壁には東北6県のタイル絵が
河北新報、マスコットのこけしちゃんがかわいいです

ものすごい駆け足でしたが、なんとか予定した訪問地は全て回れたので名残惜しいですが帰ります
新幹線に乗って
お夕飯は駅弁にしましょう
仙台ですもの、豪勢に牛タン弁当を
紐を引っ張って、発熱させるお弁当初めてかも
駅弁でホカホカのお弁当って妙に嬉しいです
仙台−大宮間は1時間ちょっとなのでちょっと急ぎ目でもぐもぐ
牛タン弁当、おいしくいただきました

なんとか無事に帰宅して、卒業旅行は終了
東北、まだまだ行きたいところがありますし、今回行ったところも街の中を散策する時間が取れなかったので、もう少し余裕を持って訪問したいです
陸前高田も、気仙沼もそれぞれまるまる1日ほしい
さ、次はいつ行きましょうか