最初に入ったのは介護療養型医療施設…
いわゆる老人病院である。
 
こちらでリハビリ助手を
閉鎖解雇されるまで15年世話になった。
 
新卒だからか、大学の紹介だったからか、ここほど甘やかされて
ダメになった職場はなかった。

 

 
夜勤も土日出勤も変則勤務もしてる
今の特養介護士の収入の倍ほどあった。
 
日曜と祝日が休み、3.5時間出勤が2日、おまけに有給買取あり
残業一切なしの日勤のみ。
 
 
2015.3.2の自分の書いた記事にこんなものがありました。
この頃から既に自分の居場所に悩みながら働いていたようですね。
 
社会福祉士を持って今の病院に就職しましたが、病院としては、私に後から取らせてくれた衛生管理者と防火管理者として今は病院に置いてもらっています。
次々と部下や周りの人が介護福祉士を取っていく中で私はもう、福祉士としてのスキルはとっくに後輩達に抜かれている気がします。

人に接することはもちろん好きではありますが、今は管理系の仕事を極めていきたいと思います。
でもいつか社会福祉士も介護福祉士のように世間に認められる資格になればいいなと願っております。



 新天地で再就職した医院。
意を汲み取ってくれ通所リハビリの相談員や居宅の見習いもさせてくれ、それなりの給料も出してくれたのに非常識を注意され泣いて1年半で退職。
 
 
 
これほど恩を仇で返す奴はいないだろう。
 
完全に世の中を舐めた所業と後悔。
 
私は今でも時々差入れを持って行っている。

 

 ユニット型特養

 

 相談業務はもうたくさんと近所のユニット型特養へ介護職として入職するが、

ハイレベルな特養の介護業務は全くできず、試用期間4ヶ月かかり正職員なるも

足手まといに同僚は皆素っ気ない態度。

 

 

 

 

 

 

 

 

いずれは心開いてくれるかなと頑張ったが結局辞める入職8ヶ月目まで

人間関係は変わらなかった。

 

 

認知症グループホーム

 

 

知人を通して紹介を受け、グループホームのケアマネで働く。

 

現場では介護技術よりも認知症の方に対してのコミュニケーション力とご飯を提供する調理技術が必要で併せてケアマネとしての経験も付くので異動辞令が出るまでの1年半学びながら働いて認知症関連の資格も取った📝

 

 

 グループホームのケアマネで認知症のプロとして飯食っていくと思い始めた
矢先に私引き抜いた当時の施設長派閥争いに負け失職。

 

 
私もその一派として一掃する為特養介護職見習いとしての異動辞令。
 
肩叩かれていることは重々承知であるが負けず嫌いの血が騒ぎ
四十越えて現場を学ぶ🔫
 
 

 

 従来型特別養護老人ホーム

 

 
 

 特養異動後初めは散々だった。

 

拘縮して変形した下半身、強い介護抵抗のある認知症、

様々な重度の方のオムツ交換に苦労し、遅い上に上手に装着できず

何度も失禁させてしまい利用者と同僚に迷惑かけた。

 

先輩や同僚が気長に見守ってフォローしてくれたおかげで

特養を続けることができた。

 

病院で15年甘やかされ何もできない人間が挫折を繰り返し、

今は特養の介護職3年目。

介護福祉士になり名前だけは一人前になれた。

 

 

 

 

 

何もできない社会福祉士上がりのケアマネが40過ぎて特養介護士になったお話。

 

これから更に技術と知識の向上させ中身も一人前になれますように。