我が家のガス(プロパンガス)を供給してして頂いて居る会社では、毎月「ワクワク通信」なるものを
発行しています。検針票&請求書と一緒に投函してくれます。
この「ワクワク通信」の中に、社長エッセイという項目があるのです。
こちらの社長さんは小説家になりたかったと言うほど物を書くのがお好きなようなのです。
私も、このエッセイは楽しみ読ませて頂いています。
今月は「陽だまりの樹」というサブタイトルが付いていました。
なんと私の住む石岡と手塚治虫さんにはご縁があったのですよ。
石岡市は江戸時代は常陸府中藩と言いました。
この藩の初代藩主・松平頼隆は水戸藩初代藩主の五男で徳川光圀の弟に当たります。
水戸藩同様、府中藩も藩主は江戸詰であったため、藩邸は江戸にあり、石岡には
代官の陣屋が置かれていました。
今でも、陣屋門が残されています。
これが陣屋門です。今は市民会館の前に移築されています。
さて、江戸時代末期、藩主・松平播磨守に使えた手塚良庵という藩医がいました。
その方が、手塚治虫さんの3代前のご先祖だそうです。
藩邸は文京区の茗荷谷駅の近くにあったそうですので、手塚良庵もその近くに住んでいたと言うことです。
石岡には照光寺という自院があり、松平家の墓地があります。
江戸時代には香華所となっていたそうです。
門に掲げられた扁額と、
本堂です。
こちらは常陸国総社宮です。
石岡の歴史はこの位にして、手塚治虫さんの作品に、「陽だまりの樹」というものが
あります。ご自分の出自を知った手塚治虫さんが小石川を歩き回り、この作品を作られたそうです。
この作品の主人公が手塚良庵なのです。つまり、そこには常陸府中藩も出てくるのですよ。
そんなご縁で、常陸国総社宮と手塚プロダクションがコラボして、「陽だまりの樹」
40周年限定御朱印というのを作ったそうです。
このような御朱印だそうですよ。
他にも、手塚治虫さんの作品を使ったお守りやお札もあるとか。
御朱印帳もあるようですよ。
まだ私は確認に行ってはいないのですが、そのうち行ってみようかと思っています。
因みに、この手塚良庵は緒方洪庵の適塾で福沢諭吉と机を並べたとか。
また、良庵は父良仙と共に当時流行っていた天然痘治療の種痘所の解説にも尽力したそうです。
今で言うところのコロナウイルスワクチン接種のような感じですね(余談ですが)
意外な所で、手塚治虫さんとのご縁がありました。
エッセイを書かれている社長さんは私とは同世代の方なのです。手塚治虫さんの漫画に
胸躍らせた少年時代だったのでしょうね。