皆さんこんにちは今回は京都に古くから伝わる幽霊の話をします。

 

京都でも一二を争う人気スポットとして清水寺があります。その清水寺がある東山周辺には悲しくも心温まる歴史があるのをご存じでしょうか。

 

遥か1000年も昔、京都は街の広さが今よりもずっと小さく、鴨川より東側は野原が広がっていました。

町で人が亡くなったとき、遺体は鴨川を超え、今の清水寺のすぐ南にある鳥辺野に運んで鳥葬を行っていたそうです。

 

地図では鴨川から清水寺までは真っ直ぐな一本道ですが、矢印のあたりから急な坂になっています。

 

             清水寺への参道 (松原通り)

            鴨川

           急な坂

 

昔は荷車で遺体を運んでいたのでしょうか。坂を上るのが大変なので遺体を坂の手前で置いていく人も多かったそうです。

その場所が現在の轆轤町(ろくろちょう)になり、今は「ろくろちょう」ですが、昔は髑髏町「どくろちょう」という名前だったそうです。人骨が散乱していたからついたそう。

 

その轆轤町周辺には、冥界へつづく井戸がある六道珍皇寺など黄泉とのつながりがあるお寺があり、まさにこの世とあの世の境界地として京都の人々に知られていました。

 

          六道の辻

          お地蔵様

         六道珍皇寺

 

そして、この地に一軒の飴屋さんがありました。

 

あるとき、女性が毎夜毎夜、一文銭を手に飴を買いに来たそうです。

朝、店主が銭函の中を見ると、入れたはずの一文銭がなく、代わりにしきみの葉(お墓にお供えする花)が入っていました。

不思議に思った店主は、その夜、女性の後をつけたそうです。

 

すると、女性は鳥辺野にある墓地の前ですーっと姿を消しました。

驚いた店主が女性が消えたあたりのお墓を調べると、中から赤ん坊の泣き声が聞こえ、なんと!飴をくわえた赤ちゃんがでてきたそうです。

 

そう、この女性は町で亡くなり鳥辺野に埋葬された女性だったのです、そしてそのお腹には赤ちゃんがおり、生きていたのです。死んで母乳をあげられない母親が、我が子への愛から幽霊となり、毎夜毎夜、飴を買って子供に与えていたというのです。

 

以降この飴は「幽霊子育て飴」として、500年近く、京都で続いています。

 

         飴屋のみなとや

 

 

そしてこれが幽霊子育て飴です。

 

          幽霊子育て飴 

 

皆さんどんな味を想像しますか?

 

色は茶色で、わりとごつごつした大き目の粒になります。

私ははじめ見た目からとても甘そうだと思ったのですが、実際食べてみると違うんです!

 

実際はすご~く、やさし~~い甘さでした。ずっと舐めていてもあきない味です。

 

まさに幽霊の我が子への愛情がそのまま味になったような、悲しくも、優しく、そしてあたたかい気持ちになりました。

 

余談ですが、このお墓から出てきた赤ん坊がゲゲゲの鬼太郎のモデルになったそうです。