知識と知恵
一般的には知識がある人を頭がいいと言う
だから縄文人よりも現代人の方が頭がいい
と思いこんでいる人も多い
ブルーカラーよりもホワイトカラーの方が
頭がいいと思いこんでいる人も多々みかける
経済評論家なんぞも情報量の多い人が賢い
と思われがちである
知識と知恵というのはいわば両輪で
刀と剣豪の関係に似ている
なまくら刀ではなかなか人は切れないが
剣豪でも神の領域に入れば木刀でも人は切れる
知識の裏付けの無い知恵はなかなか生きないが
知識だけでは何も生み出さない
さて、現代の問題は知識が重視されすぎる
という点である
人間の脳には記憶と思考という機能があるが
現代の教育において記憶の教育を重視しすぎる
だがビジネスの現場において知識だけでは
全く機能しないのが現実であり
それは職人の世界でも全く同様である
KKDと言われる経験、感、度胸の世界でもある
だが現代社会ではKKDなんぞと言えば
旧態全とした人間として蔑視される
以前も何かで書いたが
名人の作った工芸品は規格外といわれて
検査で不合格の判を押されかねない時代である
そして名人は社長に怒鳴られるのである
「俺たちは芸術品を作ってるんじゃねえぞ」
「コストパフォーマンスを考えてくれ」
で
京都に住み着いて感じたのは
明らかに現代日本と感覚がずれている
良さである
おいしい物や手間が掛かっているものは
高価格で当たり前
安いものが欲しければそういう店に行け
という傲慢ともとられかねない
異常な感性が街全体を支配している
保証期間が20年の電気製品があっても
ひょっとしたら売れるかも知れない
そういう事を感じさせる街なのである
では新しいものがないかといえば
そうでもなく
300年続く和菓子屋とケーキ屋が共存する
ここで我々が300年前と同じ和菓子を
食べているか、というと
300年間の知恵と工夫で進化した和菓子と
300年前とほぼ同じ製法と材料で作られた
和菓子の両方を食べる事が出来る
オグルニエドールと甘泉堂が共存する街は
知識と知恵の共存する街と言えるかも知れない