娘は予定通り、大学最後の試験を2日前に終え、本日、上海へ飛び立った。ナナが亡くなる前、今年は家にいようかな?と悩んでいた娘に、22歳のやりたい事を大事にしてほしい、と背中を押した私たち。先月はマニラ、今月は上海・シンガポール、来月からは3か月日本へと飛び回っている娘。シドニーに戻っていた期間に、最期に立ち会えて本当に良かった。
やっぱり車から降りてちゃんとハグしたくなった弟
お姉ちゃんラブ💗なのは永遠に変わらない
今日は、息子の高校最後の登校日。このハーレーに乗って、制服で登校する姿も今日で見納め。
先生方が、サポートユニットのための卒業パーティを開いてくれたので、家族全員で学校へ。油断すると直ぐに涙があふれてくるので、事情を知っている先生たちと何とか涙をこらえて、卒業パーティに参加した。
これで本当に最後!卒業おめでとう!!
帰宅すると、息子のスピーチの先生からお花が届いてました。母が亡くなった当日、近所の友人達が大きな花束を抱えて駆けつけてくれて、翌日も、翌々日も、そして今日も、毎日、母のことを知っている友人達がお花を持って駆けつけてくれて、母のお部屋はお花でいっぱい。夜、ずっと聞こえていた酸素マシンの音が聞こえていたのが亡くなり、癖で夜中に目が覚めた時に、寂しさで呆然とする。でも、家中にお花の良い香りが充ちていて、そのことでものすごく癒されるということを初めて知りました。今後、友人達の家族に何かあった時には、少しでも心が癒されるように私もお花を贈ろうと思います。
夜中の1時15分に、携帯が鳴った。飛び起きて電話に出ると、「もう長くないので直ぐきてください」と言われ、子どもたちをどうするか悩んだけど、「朝まで持ちません」とはっきり言われたので、全員たたき起こし、病院内も走って、1時半前に母のそばに駆けつけた。
5時間前に別れた時は、いつもの母だったのに、、、少しずつ冷たくなってくるのを、ずっとなでて皆で話しかけて。夜中だったけど、何とか東京の姉と、姪一人だけ捕まえられたので、電話越しでナナに話しかけてもらった。3年前に何度も覚悟した筈だったのに、実際に本当に最期の時が来たら、覚悟なんて何にも役に立たないもんだと痛感した。
看護師さん達は、「気が済むまで家族で過ごして」とナースステーションで待機してくれて、1時間強、私たちだけで過ごさせてもらった。その後、ドクターが確認に来て、看護師さん達がエンジェルケアをしてくれるのを一緒に傍らで見守らせてもらった。本当は私もさせてもらうつもりだったけど、まだ暖かい背中に触れた瞬間、号泣してしまい、手を添えさせてもらうくらいしかできなかった。
4時半ごろ、息子も眠気が我慢できなくなってきたので、病院をあとに。母のそばを離れるのは、寂しく、とてもつらかったけど、それ以上に冷たく、顔色が変わっていくのを見ているのはつらかった。ほんの数時間前まで、赤味もさしていた肌が全く違う色に変わっていく。母が本当に逝ってしまったのだと、心臓が痛い。
横にはなっていたけど、看護師さんが来る度に起きていたので、ほぼ一睡もできず迎えた朝。母とずっと手をつないでいたので、ピクッと動くと、「大丈夫いるよ」と声をかけてあげられて、母は安心で一晩中眠っていた。6時間毎のモルヒネで痛みは完全にコントロールされているようで、痛そうにすることも全くなかった。朝8時前に、息子と夫が来てくれた。昨夜はFacetimeで手を振っていたナナだけど、今朝はまだ一度も目を覚まさず。
1時間ほど、ナナのそばにいてくれて、ナナをなでて、話しかけてくれた息子。
感情的になってしまってなかなか書けなかったけど、やっぱり記録に残しておきたいと思うので、出来るだけ感情的にならない程度に覚書。昨日、救急で「明日手術しよう」と言われていたので、ドキドキしつつ朝、病院に電話で確認。整形の病棟に移動していると言うので、娘と朝一で病棟へ。