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柚子の季節

山奥の道を登っていると、柚子の林がありました。


オバチャンがちょうど収穫してました。


この馬路村(うまじむら)では11月初旬~12月初旬にかけて収穫するそうです。


そういえば、そろそろ柚子風呂の時期ですかね、たしか。




坂本竜馬の生家跡


高知市の本町筋にある、坂本竜馬誕生地


ここに立ちますと、いまも維新の風が吹くような気がします。


横の大きな建物は上町病院。

受付で挨拶すると、竜馬ピンバッチをくれます。


竜馬生誕170年の記念年ということで、病院には横断幕も掲げてありました。




高知の宴会

高知の方々と飲んだときの様子です。

みなさん、ものすごく陽気でした。


飲んで歌って、踊って笑う。


夜更けまでエンエンと。。


あと料理がうまかったです。

鮎の刺身なんかも初めて食べました。

すぐそばに渓流が流れてて、その日に釣り上げたのを捌いてくれました。


部屋の片隅に焼酎「魔王」がごろっと転がっており、持ち主がトイレに立ったすきに、あっというまに飲み干されました(飲み干しました)。ごちそうさまでした。


相当、酔っ払いましたので、写真もぶれたりしてますが。。


気分よく酔えました。

楽しかったです。

高知のみなさんに感謝します。



鮎寿司


これはカニ


これはカニ仮面


踊り出すととまらない



太平洋 海と空

高知県の観光はよく「西高東低型」といわれます。



高知県は横に細長いカタチをしていますが、その中央部、太平洋に面したところが高知市です。
高知市から西側が四万十川とか足摺岬とか、有名な観光地が集まった西部地域


一方で、山と海ばかりで何にもないと思われてるのが、東部地域なのです。

(実際、面積としては高知の半分近くを占めるのに、ホテル・旅館の数は10軒に満たない。。)


観光客も当然、西部地域に集中してしまうので「西高東低型」と言われてしまいます。



東側にはどうせなーんもないだろ
私も正直、侮っていました。



ところが。。
今回の出張で東部地域の素晴らしさに気付かされました。


列車から見える、海と空の風景がいいんです。

海と空がでかいんですよね。



ちなみに列車は「ごめん・なはり線」。



位置関係でいいますと、


(西) 高知駅→→→後免駅→→→安芸駅→→→奈半利駅 (東)


こんなかんじ?



この御免駅―奈半利駅をむすんでいるのが、ごめん・なはり線です。

これが東部地域の海沿いを一直線に走っています。


安芸駅





桂浜

高知市街からバスで約40分。


桂浜です。


11月13日。着いたのは、もう夕方でした。

三脚を宿に忘れてきたので全部、手持ちで。


ちょうど「竜馬まつり」というのをやってて、花火もあがりました。

1時間ほどの短い花火大会でしたが、いい思い出になりました。






吉田東洋 遭難之地

幕末の史跡めぐりに関しましては、旅というよりも完全に趣味の世界です。

面目ないですが、ちっくと勘弁してください(笑。




幕末、この場所でひとりの男が凶刃に倒れました。


いまはひっそりと碑が立っているだけで、目立ちません。(中央が碑)

碑の後ろは、いまは学校になっていて、生徒達の元気な声が聞こえてきます。


その夜、雨が降っており、刺客は屋敷の物陰に隠れて、男をじっと待ち伏せたといいます。

(刺客は那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助の三人といわれています)

私がこの場所に立ったときは、その暗殺が想像できないぐらい、空は晴れあがっていました。


この場所で斬られたのは、土佐藩の参政・吉田東洋。

恰幅のいい、文武両道の男だったといいます。藩政にも思う存分、辣腕を振るっていました。

後藤象二郎とか、板垣退助の大先輩にあたる男です。

一方、刺客を放ったのは、土佐勤王党のリーダー・武市半平太。

これも素晴らしく頭のきれる男でした。

暗殺の背景に、この武市と吉田との藩論をめぐる確執がありました。

すごく簡単にいえば、武市にとって吉田は目の上のタンコブだったわけです。


暗殺後、那須は吉田の首をふんどしに包み、持ち去ったといいます。

逃げる途中、血のにおいをかぎつけた野犬がまとわりついてきて邪魔で仕方なかった、と那須は後に言葉を残しています。



↑「吉田東洋先生記念之地」と彫られています。

暗殺の場合は、遭難之地と掘られるケースも多いように感じます。



吉田東洋(1816-1864)


暗殺は1864年4月8日の夜でした。

しばらくこの場所で物思いにふけり、そのあと合掌して静かに立ち去りました。


↑傍からみると、ド変態

高知と日曜市


高知駅

到着した日は丁度、日曜市をやってました。


駅から10分ほど歩くと、テントがずらりと並ぶ市場があります。

高知では曜日ごとに、あちこちで市場が開かれており、そのなかでも日曜市は最大規模。

端から端まで抜けるだけでも、20分以上はかかった気がします。


野菜、果物、打刃物、骨董品、菓子、生物。。。

色々なものをわんさか売ってました。


朝だけではなくて、終日市が立っているということでも珍しいのだそうです。

出店者は県内のおじちゃんとか、おばちゃんが多いようでした。


西部地方の宿毛とか、東部は安芸とか色々な場所から来て、店を出しておられました。


活気があふれた市場でした。




↑いま思うと、巨大なきのこ。まつたけ?

「ようによいます」と書いてあります。






このところ、ずっと事務所にとじこもりっぱなしです。

12月というのに。いや、12月だからそうなるのでしょうか??


精神的にも肉体的にも不健康にどっぷりと浸かっております。

車窓から


東京駅を夜10時に出発する「サンライズ瀬戸」。


一番安い寝台がこれです。

東京駅高知駅の乗車券でおよそ16000円。


サンライズ瀬戸は途中で2つに分離して、片方は島根の出雲へ。

もう片方は瀬戸大橋を渡り、香川県の坂出へと向かいます。



横で寝てるのは、見ず知らずのおばちゃん(笑。

トドのように寝ておられました。


窓の外は東京駅のホームです。



横を向くと、こんなかんじ。

ふきぬけのようになってます。



寝台といっても床みたいなもんですが、寝心地はまあまあ良いです。


ただ、寝てしまうともったいないので、こまめに車窓風景を眺めながら四国へと向かいました。






小っこく見えるのは朝日です。


窓のそとをぼーっと眺めていると、朝日が昇ってきます。

サンライズ」の名のとおりです。



これは瀬戸大橋を渡る直前の風景です。

ちいさな漁港があって、その向こうに海と島がありました。

ご無沙汰しております

ひさびさの更新となり、申し訳ないです。


私事になりますが、四国出張が数日延び、やっとこさ東京に帰ったと思いきや、九州の祖父が死にました。←マジ話


ま、88歳だったから葬式などにも全然、悲壮感はありませんでしたが。。


ただ田舎なので周囲とのカラミとか因縁とか、親戚が多いと気疲れするんすよね。。。


そんなこんなでインターネット環境とも程遠いところにおりました。


明日からまた写真などアップしたいと思いますので、お時間ありましたらまた遊びにきてくださいまし。






行って参ります

ばたばたしてしまいましたが、ようやく今夜、高知めがけて出発します。


22時ちょうど発のサンライズ瀬戸です。



東京(22時発)



坂出(7時8分着)



高知(午前10時ごろ着)



駅に着きましたら、バスでそのまま桂浜に直行します!

(皆様、ご存知でしょうか??幕末の聖地のひとつです)


18日(金)に戻りますので、皆様、どうか私を忘れないでください~。


では、張り切って行っちきます!

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