新宿花園神社の紅テントで『泥人魚』を観ました。

 

唐組としては、初演以来21年ぶりの公演だったとか。

 

 

『泥人魚』の感想は後にして、先ごろ逝去された唐十郎さんについて、書かせてもらいます。

 

僕が初めて唐さんの芝居を観たのは、もう51年前、高校を出た年の春、京大西部講堂の庭に設置された赤色テントで観た、状況劇場の『ベンガルの虎』(73)でした。

 

 

※「ベンガルの虎」ポスター 絵は合田佐和子。右下に「西武」のマーク。唐十郎以下、李麗仙、大久保鷹、不破万作、根津甚八、十貫寺梅軒など懐かしい名が見える。

 

18歳の私は、早めに行ったにもかかわらず、「前売り」も「当日」も「整理券」も知らなかったため、列の最後尾となってしまいました。

陽が傾いて開場時間となり、赤いテントは見かけによらない大容量で観客の列をどんどん飲み込んでいきました。

それでもやがて桟敷は超満員となってしまい、なんとか客を押し込もうとしていましたが、列は遅々として進みません。

やがてテントの中から、ひび割れた大音量でオリエンタルな音楽が流れ出しました。開演です。焦った私は列を飛び出してテントの隙間から無理やり体を潜り込ませたのでした。

 

赤い胎内のようなテントの中では、ザーザーと音を立てて水が流れ落ちています。

その水しぶきの中で日本兵たちがにらむような目つきで「埴生の宿」を歌っており、その真ん中で化粧のヘタクソな道化みたいな隊長が、唾を飛ばしながら「水島あ!日本へ、ニッポンへ帰ろう!!」と叫ぶその声に、一挙に芝居に吞み込まれました。

それから興奮して立ったまま3時間、底が抜けたような笑いと身を切るような切なさ、そして脳みそを攪乱するストーリーに翻弄され、夢か現実かわからないような時間を過ごしたのでした。

 

最初に観たこの芝居が、私の決定的な原体験となりました。(そして、このすぐ後で見た「村八分」のライブが、以後の私の人生を決定してしまいました)

状況劇場の観客にはみな、自分が最初に観た芝居が”一番”という「刷り込み」が起こります。

翌年観た「唐版・風の又三郎」は唐十郎の代表作ともいわれる素晴らしい芝居でしたが、私にとってはやはり「ベンガル」なのでした。

(年上の人たちも、「だって「吸血姫」は観てないんだろ」とか「もう麿赤兒も四谷シモンも出てないんだろ」などと、昔見たもの自慢をしていました)

 

それから毎春「腰巻おぼろ 妖鯨篇」「下町ホフマン」「蛇姫様ー我が心の奈蛇」「ユニコン物語 台東区篇」と観続けました。

その時期は、状況劇場の第2期というのでしょうか、李麗仙と根津甚八のふたりを軸に物語展開をしていた時代で、そこに「特権的肉体」の化物めいた役者たち、特に麿赤兒の後には大久保鷹が、大久保鷹が抜けたら今度はバケモノ化した小林薫が絡んでいくという形で続いていきました。

※伝説のバケモノ役者大久保鷹と突如としてバケモノ化した小林薫

 

そして、観客が何よりも大好きなのが、役者唐十郎なのでした。

唐はいつも芝居の冒頭に登場して、よく通る声とあまり回らない口調で、飛んでもないことを言うのです。

あるときは

「みなさん今晩は。わたしはお婆さんの調教師です」

またある時は観客をぐるりと見回して

「みんな  正直か?!」

 

※タンスの中から煙とともに「油揚げのジャケット」を着て登場した唐

その第一声は「もくもくもくもくもくもく」

 

むき卵のようなつるつるの顔。そこにきらきらと光る眼(この人の眼だけが、なぜこんなにもキラキラ光って見えるのかといつも不思議でした)

唐が第一声を発しただけで、たとえ何を言っているのかよくわからなくて、観客はもう大喜びで笑い声をあげるのでした。みんな唐が大好きでした。

 

近年になって、鬼子母神に唐組の千秋楽を観にいったら、一番後ろで、体を横たえる形で自分の書いた芝居を観る唐さんに出会いました。

芝居が終わって、作演出として紹介を受けた唐さんは嬉しそうでした。

その帰り道で友人相手に、いかに自分が唐さんに影響を受けたか、いかに感謝しているかを話していたら、思わず涙声になってしまいました。

 

さて、今回はちょっと長く書きすぎてしまいました。

「泥人魚」の感想はやめておきます。

最後に、唐さんにお礼を言わせてください。

 

ありがとうございました唐さん。

こころからご冥福をお祈り申し上げます。