今更、シティポップの世界的大流行や
Rainychのバズりぶりを語るつもりはないが
YouTubeなどの、おすすめに表示される
アルゴリズム
レコメンデーションアルゴリズム
が、日本の昔のニューミュージックのような
シティポップと呼ばれる楽曲たちが
世界的に注目されるきっかけとなった
その文脈でのRainychの
日本語曲のカバーのYouTubeチャンネル
だと思う
韓国の日本のシティポップを盛んにフィーチャーする
DJナイトテンポは
夜中の森高千里MCの音楽番組で
この世界でのシティポップが大流行りの現象は
アルゴリズムの勝利
と表現していた
最初は、海外の人たちが
YouTubeのレコメンデーションアルゴリズムで
あなたへのおすすめで
日本のシティポップを
強制的に聞かされていたものが
これはいい音楽じゃないかと、自分で検索するようになって
だんだん深掘りするようになって
のめり込んでいった
と、表現している
イギリスでは早くから山下達郎の曲などのシティ・ポップがダンスナンバーとして評価され、「J・レアグルーブ」「J・ブギー」と称されていた[7]。
2000年代に入ってネット環境が普及し、ストリーミングや動画配信サイト (YouTube) で音楽を聴くという新しいリスニング・スタイルが生まれ、誰もがどこからでも手軽に様々な音楽へアクセスできる環境が整った[14]。そして日本国内の閉じたムーブメントに過ぎなかった日本のシティ・ポップを、AOR を再評価していた米国の音楽マニアたちがネットで「再発見」するに至った[9]。彼らにとってシティ・ポップは「AOR の秘境」であり[9]、それまで存在が波及していなかった分、インパクトも大きかった[5]。2010年代にはシティポップは欧米圏のみならずアジア圏でも再評価が進んで多数のファンを獲得するようになり[14]、2017年頃からはネット配信されていないレコードを買い求めようと来日する外国人が多くみられるようになった[9]。また2018年には YouTube にアップロードされた竹内まりやの「プラスティック・ラブ」(1984年)が、そのリコメンデーション・アルゴリズムと相まって、世界中から何百万回もの再生数を記録するほど大きく注目された[9][34]。2020年には、10月にYoutuberのRainychがカバー曲を歌唱する動画を発表したことをきっかけとして、松原みきの「真夜中のドア~Stay With Me」がSpotifyグローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録、Apple MusicのJ-POPランキングでは12カ国で1位を獲得するヒットとなり、同作のレコード盤がポニーキャニオンから復刻されることとなった[35][36][37]。シティ・ポップは、ヴェイパーウェイヴやフューチャー・ファンクのモチーフとしてメジャーな存在となり[34][38]、またその BGM 的性質から、ストリーミングの普及で需要が高まっているチルアウトの音楽にも影響を与えている[34]。
その「真夜中のドア~stay with me」が、発売から40年経ったいま、まるで突然のように世界的にチャートを駆け上がった。このブレイクの一端を担ったのは、インドネシアで世界的な人気を誇る女性ユーチューバー、Rainychの存在だろう。イスラム系としてヒジャブをつけた彼女が美しい歌声で歌う英米のヒットやJ-POPを歌う動画は多くの人を魅了し、現在130万人近い登録者数を誇る。そのRainychが流暢な日本語で歌った「真夜中のドア~stay with me」が10月末にアップされるやいなや、まずはインドネシアが起点となり、その後、原曲である松原みきヴァージョンが世界中に発見されていった過程が、Apple MusicやSpotifyの再生回数としてそのまま反映されていったようだ。
そして、そこにはもちろんRainychがカバーするに至る、数年前から続くアジア各国での人気の高まりがあった。その起点には、日本のシティ・ポップに注目する海外のDJたちがこの曲を再発見、いや“新発見”していった事実があるだろう。長谷川氏は、同じく海外で人気の高い竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」(1984年)を「太陽」とすれば、「真夜中のドア~stay with me」は「月」のような存在で、「ジャブを打ち続けて相手をKOしたボクサーのように」じわじわとDJの現場で熱い支持を広げていったのではないかと語った。そして、「プラスティック・ラヴ」が2020年現在の時点でサブスクリプション上に存在しない“見えないヒット曲”だったことと対照的に(※2020年12月11日に各種サブスクリプション解禁)、「真夜中のドア~stay with me」への支持が北米のプレイリストキュレーターたちの選曲により着火、その後Rainychのカバーをきっかけに爆発したことが、サブスクリプション・チャートに直接的に反映されて、“目に見えるヒット曲”となったのだった。