ある国の隠してしまいたい事実が
アメリカ合衆国の公文書館で
しばしば発掘されるのは
よくあることである・・・
アメリカも人種主義があったが
基本、自由と人権、移民の国なのであろう・・・
同時代の上記に対し、言わば PIC の当事者側から「真実」を追求する研 究が1950年に著されている。著者で共産党の闘志だったセラフィン・ポル トゥオンド・リナーレスは、その父が独立戦争における指揮官であり、後に PIC の党員になって反乱に参加した人物だ。 セラフィン・ポルトゥオンド・リナーレスは早くから組合運動に関わり、 1925年のキューバ共産党の結党に参加している。31年にサンティアゴ・デ・ クーバの党の総書記となり30年代にハバナに出て活動、1936年、205か所の 有色人「ソシアル・クラブ」を擁する黒人会連合(Federación Nacional de Sociedades Negras)結成に関わり、秘書となって人種差別反対の議員を応 援する活動を行っている。40年代からはハバナで共産主義者組合を作り、44 年から人民社会党で活動する。人種の権利向上、人種差別反対が活動の主要目的であった。50年に著した『PIC の歴史』で繰り返し述べられるのが 「PIC は人種主義ではなかった」という点である。
有色人独立党が、自らの活動が人種主義と混同されないように、いかに注 意していたか、その証拠を見てみよう(Poruondo Linares 1950: 269) 当時の、そして現在のわれわれ人民の進歩の敵対者たち、これら歴史的事 実を知らないものたちは、悪意や無知からの評価にしがみついたままだ。 しかし、歴史的真実こそは道を開く。それは、有色人独立党員に帰せられ てしまっている人種主義という誤った伝説を論破する。伝説は執拗に編ま れ、市民権を求めた偉大な戦いに関わった黒人たちを、あやまちを犯した 者たちの椅子に座らせようとした。しかし彼らは自らの義務を正確に遂行 することができた。彼らが追求した市民の正義への熱望は、愛国的心情と人間的なものから自らを遠ざけることはなかったし、それはすべての人が つくる祖国で、侮辱を受けずに、完全なる友愛をもってして共に生きるこ とを願うものであった。その場所は、人が同じ義務のもとで、同じ市民権 を享受する場所だ。(Poruondo Linares 1950: 276) 「人種主義ではない」、平等、市民権を求めた戦いであった、という主張が 繰り返され、そうした「真実」は歴史上歪められているという認識が示され ている。そして重要な点は、この論は2002年に再出版されるまで、革命後の キューバでもほとんど取り上げられることがなかったことだ。後述するが、 キューバ革命後すぐにでも評価されていてもおかしくなかったはずのこうし た PIC の評価が、59年以降2002年まで触れられなかったということをまず は確認したい。
1974年に、米国で教育を受け政府機関に勤務したキューバ系の研究者ラ ファエル・フェルモセジェが、『キューバにおける政治と人種 1912年の小 戦争』をウルグアイで出版している。特徴的なのは、キューバの古文書では なく、ワシントンの議会図書館の文書を中心に扱っている点、そしてとりわ け米国側に届いたキューバ政府関係者、さらには反乱当事者からの電文を参 照している点だ。1998年の第 2 版出版に際し著者は、 (初版から 2 版まで四半世紀たっているにもかかわらず)後続研究はほと んどなかった。人種問題は重要であり、キューバではなおさらなのにもか かわらずだ。加えて、現在のキューバではこの問題と似た人種衝突の要 素が存在している。現在亡命している政治家たちにも、人種主義はある。 (Fermoselle 1998: 12)
という問題意識を示している。後述する90年代に入ってからの大きな変化を 待つまで、革命以降は PIC とその反乱についてほとんど論じられなかった。 あるとすればウルグアイという「外部」で出版されたこの『キューバにおけ る政治と人種 1912年の小戦争』が唯一の例外であった、ということを改め て確認しておきたい。
福岡ソフトバンクホークスの
野球選手 グラシアル 肌の色は黒いですよね・・・
https://www.revolvy.com/folder/Cuban-people-of-African-descent/263444
キューバにも 白人 黒人 中南米人 混血 アジア系 がいるわけで・・・
現地の事情はよく知りませんが
アメリカ大陸の歴史上
当然に人種問題はあったと推測できます・・・
今はどうなのでしょうか?