さて、その後のMitsuoだが、
さらに苦境を迎えることになる。
人生、山あり谷あり、というが、あの頃は、谷続きも甚だしかった。
傍から見れば、順調にいっているように見えた人もいるだろうが、
決してそうではなかった。
ま、結果オーライといえばそうなだが! 笑
渾身の力作がRejectされ、しかし、最終的にアクセプトされたとき、、
何か自分の中での糸が切れたのを感じた。
何というか、挫折と一言では言い表されないようなやるせなさ、そして、虚無感。
だけど、なぜだかすがすがしい感じ。
言ってみれば、
バスケの試合で全力で戦った後の敗北、
西医体での準優勝をした時に似ていた。
つまりは、バスケを愛してやまないが、
負け、燃え尽き、やりきったのだ。
友人と話していても、
『はは、試合に負けたよ』、と笑って言えるまで
時間がかかるのと同じように、
Nature Communicationsに通ったよ、
と、なかなか周りにも言えなかった。
むしろ、凄いね!通ったね!よかったね~
といってくれた人に、
『どこがや!負けたのに、何も、ちっとも嬉しくないわ!!』
と思ってしまう自分がいた。
ボスに『本当に悔しい。Scienceの世界に失望した。なぜReviewerにあそこまで言われなければならないのか、わからない。二度と研究はしたくない。』
というと、
ボスは、『あれは確かにひどいコメントだった。俺も頭にきている。Editorに抗議する。でも、Nature Communicationsも立派な雑誌だ。それに通ったじゃないか。Impact factorも10点以上あり、年々評価も上がっている。PNASやJCIなどよりもよほど価値のある業績だよ。自分をもっと誇りに思っていい。Mitsuoほどの才能を埋もれさせるのはもったいない。お前のようにできるpostdocは俺はみたことがない。やめるのは、後でも遅くない。』
と言ってくれた。
しかし、負け犬で狼少年となり下がった自分に
誰が誇りなど、もてようか。
時間が、必要だった。
数か月経って、
ようやく普通にそのことを話せるような精神状態になった。
限界まで自分を追い込んでやったこの大業。
しかし、、、、
。。。
くそ!
二度と、Scienceなぞやるものか、
と、その考えは変わらなかった。
研究内容は線毛上皮細胞のProgenitorがFoxj1陽性Ciliated cellになる前、どのように分化していくのか、
という研究内容だったのだが、
こんなあほらしいReviewerがひしめく線毛のFieldでの研究は二度とやらない、
と、心底思ってしまった。
今思い返せば、繊毛の研究は本当は好きだった。
いつもボスとExcitingして議論していたし、
顕微鏡でしきりに繊毛が動く様子に感動した。
しかし、それも空しい絵空事のように思えてしまっていた。
Postdoc5年目でちょうど区切りもいいし、
さあ、日本に帰ろう。
と開き直り、考えていた。
一点、頭によぎったのは、
日本に帰ったら家族、仲間になんて言おう、
5年いて、結局これか、、
同期は温かく迎えてくれるのだろうか、
とか、しょうもないことを考えていた。
しかし、その後Mitsuoの人生を変える、
劇的なドラマは起きた。