だいぶ遅れたがプリキュアの映画を見に行く。予想通りいいものであった。

 

 まず、前提として比較的低年齢向けの作品からしか得られない栄養分が存在すると思う。シンプルなストーリーラインで、わかりやすく表現する。プリキュアならば、ひたむきさ、まっすぐさ、友達を大切にする想いなどが多いと思う。これが、効く。そういったものとどんどん距離ができて、どちらかというと敵側のような闇落ちした感情を抱えがちなおじさんは浄化される。今回もプリキュアたちがぼこぼこにしていたのはおそらく自身の闇落ちした心だなあと思っていた。

 私が今回の映画を見に行った理由は、キュアサマー(夏色まなつ)とキュアラメール(ローラ)にあるといっていい。今やりたいことを全力でやることの大事さを一年間浴び続けされた作品だった。あの二人が帰ってくるのなら、とりあえず映画館に足を運ぶことは確定していた。そして、映画の中で状況が思わしくない時、彼女達の存在がひかる。あと、シンプルに絵の中に彼らが出てきただけで画面が元気に明るくなる。元気って大事なのよ。

 今回の大きな映画のテーマは、愛と友情なのは言うまでもないが、「笑顔で今一番大事なことを全力で頑張る」ことだと思う。もっと大人的なワードに切り替えると、元気に優先順位の高いことを集中してやることだ。シンプルなゆえに本当に難しい。映画本編では目的地に向かうプリキュアたちが仲間と離れ離れなこと、自分の置かれた状況がわからないことから様々な形の不安に駆られる。その中でいろんな形で上記のテーマが表現される。一年間心を明るくしてくれたキャラクターから諭されると自身の生活も同じ間違いをしていないかと思わず考えてしまう。

 さて、話は変わって映画館の中の話。もちろん主役は我々大きなこどもではなく、プリキュアに変身できる子供たちである。今回彼らのもとにはプリキュアを応援するライトが配られており、それが関係のないタイミングで暴発していた。意外と光量が強くスクリーンに謎の光の玉が襲来していた。あと、プリキュアの感想をリアルタイムにお母さんにしゃべってしまうのも面白かった。普通の映画ならアウトだろうが、プリキュアならこれが許されるのは日本の映画館の良さだと思う。

 映画の内容に戻ると、20周年ですからもうたくさんのプリキュアがいるわけです。本当はみんなにしゃべらせたいが、ご予算もありますのでそうもいかない。そのうえで合体技やつながりのあるプリキュアの同時攻撃はやはり見せ場だ。戦闘場面の多さではエクスペンダブルズと変わらないと思う。これ系は戦隊ものがずいぶん先にいろいろやっているが、そこら辺から知見を得ていいバランスに仕上がっていたと思う。徒手空拳と謎ビームであの長時間の戦闘を飽きさせないのは本当にすごいよなあ。

 結局プリキュアのメインターゲットとはいえない40歳のおじさんは、プリキュアたちのひたむきさに涙を流してしまったよ。いや、本当に浄化されました。私はプリキュアではございませんが、「笑顔で今一番大事なことを全力で頑張る」をしっかりやりたいと思います。

 日々様々な情報を発信される佐々木さんらしい、自身の情報のインプット、アウトプットに焦点を当てた本だった。この手の本を読むのはライターの人であるとか、学問を仕事にしている人が多いのは当然だが、それを生業とはしていない私のような人間にも学ぶところの多いものだった。

 

 まず、情報の精査の仕方がとても参考になった。自分が専門とは言えない情報に多くの人が触れ、なおかつある程度の理解が求められるようになった結果、ある意味情報をうのみにする必要が出てくる。本来であればその検証が大事なわけだが、素人である上にその分野の基礎をわかっていない状態であれば検証自体が不可能といえる。では、どのような情報ソースが良いのか、どのように正確な専門知を提供してくれる個人を選別するのかが大事になる。そして、各々情報ソースに傾向がありそこを含めた付き合い方が大事になるという事だった。個人的にはSNSにおける専門知の情報ソースとしての個人の扱い方がとても参考になった。

 その後に書かれている情報の外部化もまた参考になった。情報を引き出せる状態をいかに構築するか、そして自分の記憶にたよらず外部化するかという点はとても参考になる。このように書くとライターや論文を書く方向けと思われる方も多いと思うが、自分の興味のある分野の情報の精査、まとめであれば同じ手法が使えると思う。この著書では主に報道、専門知識のことについて書かれていたが、自分の欲しいもの行きたい場所といったものも同じ手法でデータベース化できる。例えば自分がほしいと思った商品、必要だと思った商品はあれど、それを正確に記憶しておくのは難しい。しかし、アマゾンのほしいものリストにかたっぱしからねじ込んでおいて、時間のある時にフォルダを分けることで自分の必要なものを正確に記録することができる。また、いってみたいレストランの情報が手に入ることがあっても、それ自体を覚えておくことは難しい。となれば、同様なことを食べログに落とし込めば急な外出先で行ってみたいレストランに行けるかもしれない。こういった記憶の外部化と整理の手法においてこの著書の中で書かれている内容以上に活躍する可能性があると思う。

 

 ある意味この本における大きなテーマは、自分の能力によらない情報管理、集中力の維持といえる。本の全編を通じて、人は残念ながら十分な記憶力はなく、集中力が持たず、作業が煩雑になることが前提で書かれている。だからこそ、情報をいかに出し入れするか、そのための時間をいかに捻出するか、その肉体的精神的な負荷をいかに小さくするかを佐々木さんの経験をもとに組まれたシステムが説明されている。世の中に途方もない情報が流れるからこそ、そこと自分のできる範囲で向き合っていく手法はいろんな人にとって参考になるものだと思う。

 この本で多くのページが割かれているのは、自分の欲望や願いを文字として具現化することだ。やりたいことを考えるというのは簡単なようで難しい。それは、自分の中の先入観や可能性に対する忖度、お金による縛りがあり、自身のありのままの本音を引き出すのにコツが必要だからだ。その上、それ自体にたどり着いてもそれを維持する(ゴールに向かって行動し続ける)ことが難しい。できる自分を一度イメージするだけでそれまでとは違う動きができるようになるが、そこに加えて欲望に維持と具体化をすることで自分のイメージをいい状態に保ち積極的にチャレンジしていく方法論が語られていた。そして、多くの場合ボトルネックになるお金を稼ぐという行為の基本的なイメージを肯定することで自分自身の欲望をより強くしていく方法が語られる。

 この本を読んで自覚できたことは、実際の可能性とは別に自分で自身のイメージを小さく弱くしている側面があるという事だ。金銭的な縛り、価値観の相反、対価として求められる大きな努力といった要素が、自分の可能性を間接的に否定して自分で自分にできないのだと言い聞かせている側面があることが自覚できた。

 本に書いてある通りに自分の欲望や願いを言葉にしてみると、今までとは違った自己像が見えるようになる。無意識のうちに作っていた自分の縛りが見えるようになった。そこから、具体的に言語化したところを深めていくと日常に対して多くのフィードバックがあった。自分が日常でまだまだ詰められる要素を自覚すると同時に、ここは切り捨ててもいいかもしれないと感じるところが見えてきた。不思議なものでそういうところが認識されると、今まで気が付かなった部分の調整ができるようになった。具体的には、L字机として使っている折り畳みできる机の部品を外すことに成功した。以前から椅子に引っかかていた折り畳み部品パーツ自体は認識していたが、それを外すという事に意ようやく意識が向いたのだ。万事がこういい方向に行くとは限らないが、自分の感覚や環境、目標といったものをより頻繁に認識するようになったと思われる。

 

 まだ、本に書いてあるような劇的な変化が起きるかはわからないが、それでも本に書いてあった内容に即して自身の目標の具体化、ゴールの期日付け、ゴールまでの道順の作成をやってみたいと思う。