スキー人口減少下の予約争奪戦・・・

 

今年は受験生を抱えるため行けませんが、毎年10月が近づくと年末年始を過ごす、志賀高原のホテルと旅館の予約をしなければいけません。

 
例年は、ホテルに2or3泊したあとにスキー場内を移動し、大晦日とお正月は旅館で3泊、計5〜6泊しています。大みそかとお正月は畳でのんびりしたいからです。
 
ホテルの方は『たぬきだに』が20代の頃から結婚後、子どもが出来てからもほぼ毎年、30年近く同じホテルに通い続けてきました。
 
このため、公に予約を開始するより早く連絡しても、部屋を押さえることが出来ます。
 
一方、旅館の予約は大変です。「私をスキーに連れてって」で爆発したスキーブームに収容旅客数を合わせてしまったため、近年は倒産や廃業が相次ぎ、取り壊して更地が目立つ様になったのです。
 
そして、コロナ禍が追い打ちを掛けます。冬のアルバイトを集めることも困難となり、予約を制限せざるを得ない状況になったそうです。
 
すると、廃業した宿に加え、宿泊人数制限であぶれた常連さんが、他の良さげな宿を求めて予約が集中するのです。
 
これがスキー人口が減少している中での悲しい現状です。

<30年弱泊まり続けてきたホテル>

  スキーは金持ちのスポーツか?

 

スキーブームの時は猫も杓子も、といっていいくらい誰でもスキーをしていました。
 
そんな頃、仕事で親しくして頂いていた、海外経験豊富なお客様から、「海外ではスキーは金持ちやインテリがするスポーツ、日本のスキーは貧乏臭くて嫌だ。」と言われました。
 
確かに、海外では朝早く滑って午後三時にはホテルに戻り、温水プールのジャグジーでビール片手にくつろぎ、夕食にはビレッジ内のお洒落なレストランに出かける様なイメージです。
 
<1994年のウィスラー&温水プール>

しかし、当時の日本のスキーは、ぎゅうぎゅうのリフト乗り場で先を争って並び、リフトが混むので元を取るため最後まで滑り、昼間は食堂でカツカレー、みたいなおよそリゾートで優雅なものとは程遠いスポーツでした。
 
その後、その方のお話し通りスキーブームは長くは続かず、終焉しました。

スキーをするには、道具やウェアに加え、4輪駆動の車とスタッドレスタイヤ、往復のガソリン代や高速代などの交通費や宿泊代もかかります。
 
若い男は女性にモテなきゃこんなお金のかかるスポーツをしないので、スキー産業が衰退するのは当然の流れです。
 
という、寂しい流れの中、毎年のようにスノーボーダーも含めたスキー人口は減少し、一世を風靡した日本のウィンタースポーツは廃れていったのでした。

今では年末年始といえど、リフト待ちもほぼゼロとなり、そういう意味では優雅さは増してきています。リフト代は高騰していますが・・・。

 

  スキーリゾートの復活に向けた動き

 

そんな流れの中、長い間スキーやスノーボードの人口は減少し続けましたが、最近になって救世主が登場しました。日本スキー場開発(株)とインバウンド需要です。

日本スキー場開発(株)は白馬方面のスキー場を経営しています。

ハイジのブランコ「ヤッホースイング」やバギークルーズなど、夏のアクティビティが大ヒットし、一大観光地となりました。

オールシーズンリゾート完成に向け、頑張って頂きたいものです。

<ヤッホースイング:画像お借りしました>

そしてインバウンド需要が北海道のニセコだけでなく、信州の白馬エリアや妙高エリアにも及んでいます。

11月下旬、5つ星ホテルの「バンヤンツリー」が白馬エリアに、そして、シンガポールのペイシャンス・キャピタル・グループ(PCG)が2000億円超を投じ、妙高エリアを国内外から誘客できるリゾート地へと変貌させる計画を立て続けに発表しました。

今後、泊まれるかどうかは別にして、スキー場が海外のスキーリゾート同様、洗練されることを願う『たぬきだに』なのでした。