俳優の宮澤エマさんの「俳優への道」は極めて異色です。

 

1988年生まれ。

宮澤喜一元首相の孫。

インターナショナルスクール卒業後、アメリカに留学。

アメリカの大学在学中にイギリスのケンブリッジ大学にも留学。

この時、音楽に目覚め、ビッグバンドのボーカルとして活動。

大卒後、帰国して歌手を目指す。

 

しかし「歌手」になるのは「遅咲き」過ぎました。

そこで所属した「エヴァーグリーン・エンタテイメント」は思い切った手段を

取りました。

最初はラジオのパーソナリティーなど「声を使う」仕事からスタートして、知名度を

上げるためにあえて「バラエティ番組」への出演という戦略を採ったのです。

 

2012年から宮澤さんは「孫タレ」としての活動を始めます。

 

①『ネプリーグ』に出演


宮澤さんにとって記念すべきテレビ初出演です。

当時すでにバラエティ界で大ブレイクしていたDAIGOさん(竹下登元首相の孫)

と「共に総理大臣の孫」という括りで共演しました。

宮澤さんは初のテレビ収録にガチガチに緊張していました。DAIGOさんの軽快な

バラエティ対応の凄さを間近で見て、「自分にはあんな面白いトークはできない」と

大きな衝撃と挫折感を味わったと、のちにご本人が語るきっかけとなった記念碑的な

出演です。

 

②『笑っていいとも!』に出演


司会のタモリさんから「宮澤喜一さんの初孫なんだよね」と振られ、一般家庭とは

かけ離れたお正月の過ごし方や、厳格だった祖父の素顔を披露しました。

育ちの良さが滲み出る上品な佇まいでありながら、インターナショナルスクール出身

らしいオープンでフランクな話し方をしており、その「お嬢様なのに親しみやすい」

ギャップが視聴者や共演者から高い好感度を得ました。


テレビ局側は「元総理の孫」という看板として宮澤さんを重宝しましたが、ご自身は

「周囲の芸人さんのような爆笑トークもできず、クイズで気の利いたボケもできない」

と、自分の不器用さに毎日ひどく落ち込んでいたそうです。 

しかし「緊張しながらもカメラの前で求められた役割を必死に演じ切る」という経験

は、のちに宮本亜門さんに実力を見出され、俳優として舞台やドラマの過酷な現場に

立つための強固なメンタルと度胸を養う結果となったと思います。


ところで宮澤さんと宮本さんをつなげた(出会わせた)きっかけは「奇跡」と言って

良いできごとでした。

宮澤さんは高校生の時、合唱部(グリークラブ)に所属していました。

そのクラブメイトに宮本さんの弟さんがいて、宮澤さんのステージ歌唱のビデオを兄

である宮本さんに見せたのです。

「この子すごいよ」と宮本さん。

その後、バラエティ番組で「この子」をたまたま発見。

すぐに宮澤さんを自身のミュージカルのオーディションに誘ったのです。(つづく)