(2)より続く。

 

第八部 楽しみながら成功する仕事を見つける法

第29章 人生における二つの大きな決断の一つ

 

人生における二つの大きな決断とは、どのように生計を立てていくのか、子供ための親として誰を相手として選ぶか…この二つの決断は、しばしば賭けである。

ここでは、「どのように生計を立てていくか」この話。

 

できることなら、楽しいしごとを見つけるよう努力することだ。

仕事が楽しければ長時間働いても、仕事ではなく遊びのように思える。

多くの若い人々は、自分の本当にやりたいことが分かっていない。

ただ給料のみのために働いている人たちほど気の毒な人間はいない。

自分にとって適した仕事を見つけることは、健康のためにも大切なことだ。

 

仕事を探しているいる若い人々が犯している最大の過失は、自分のやりたいことを知っていない。

自分のやりたくない仕事に従事してはいけない。もちろん両親の意見は傾聴しなくてはならない。彼らは君の二倍も長く生きてきたのだから。彼らは、長い年月と経験とのみから得られる知識を持っている。しかし最後の分析で最終的決断をしなくてはならないのは君自身である。仕事で幸福になるのも不幸になるのも、それは君自身なのだから。

 

では、私に仕事を選択するについての示唆と警告を提出させてもらおう。

 

1.すでに人員過剰に陥っている事業うあ職業は避けるべきだ。

 

2.生計を営むことのできるチャンスが十に一しかないような仕事からは遠ざかれ。

 

3.何週間、何ヵ月かけても、その職業に関するあらゆる事柄を調査すべきだ。それにはその仕事に長年従事している者に面会して聞いてみることだ

たとえば、「あなたはもう一度人生をくり返されるとしたら、またこの職業につきますか?」「もし私があなたの息子でしたら、あなたは私に同じ職業につけと勧めますか?」

 

4.自分は、ただ一つの職業にしか適していないという誤った観念に打ち勝て。

普通の人間なら誰でも、多くの職業に成功することもあれば、失敗することもある。

 

第九部 経済的悩みを軽減する法

第30章 あらゆる悩みの七十パーセント…

 

大抵の人は彼らの収入を十パーセント増加できたら、彼らの経済的悩みは消失すると考えているようだ。多くの場合、それは真実かもしれないが、一方非常に多くの場合、それは真実でないのだ。

大抵の人々の悩みの原因となるものは、金銭の不足ではなく持っている金の使い方を知らないことことだ。

多くの読者は、こう言いかねない、「このカーネギーという野郎に、おれの勘定書きを払わせてやりたい、おれの借金を背負わせてやりたいーおれのサラリーの額で。そうしたらこんな世迷い言はいわなくなるだろう」と。

・・・さあ、どうだか?

私だって経済的悩みは経験済みだ。非常に低い賃金で一日十時間の激しい肉体労働をやってきた。へとへとに疲れ切って身体じゅうの痛みを忘れたいというのがたった一つの望みだったほどだ。

私は二十年間、風呂も水道もない家で生活するのはどんなにつらいものか、電車賃を節約するために十マイルも歩くということがどんなことかも知っている。

でも、そんな時代でも私は自分の収入から何とか少しでも貯金していた。

 

ところが大抵の人間はそれをしない。

ある男は、会社の仕事にかけては数字の神様だったが、自分の個人的経済を扱うこととなると全くお話にならなかった。

君の金銭関係は君のビジネスなのである。我々の金を支配する原則は何であろうか?

その十一の法則は次のとおりである。

 

以下に書かれてあることは、ある程度の年令にいった人なら知っていることばかりだと思います、聞き飽きたことかも知れません。

ただ、それを実践しているかどうか・・・まずは、書き写しておこうと思います。

 

法則1.事実を紙に記してみよ!

金銭出納の記録をとろうではないか。これによって金がどこへ消えて行ったかが正確に分かるから、予算を立てることができるのだ。

 

法則2.君の必要によく合った出来合いでない予算を作れ!

同じ住宅地、まったく同じ住宅、子供も同数、収入も同額な二つの家族・・・予算の必要度は全然違う。

予算とは、人間に物質的安定感を与えてくれるものなのだ。多くの場合、感情的安定感と、悩みからの解放を意味している。

 

法則3.金を生かして使う方法を学べ

あらゆる大会社には専門の仕入れ係や購買係があって、彼らの会社にとって有利な取引をするような努力をしている。なぜ君も君の資産の管理人兼責任者として、同様なことをしないのか?

 

法則4.収入とともに頭痛を増すな

何年か堅実な暮らしをしていて、いよいよ目標に到達したと考えると暮らしが派手になる。

おや?と気がついたときは赤字です。

 

法則5.信用を得るよう努力せよ、借金の必要な場合もあるから

 

法則6.病気、火災、不時の出来事のために備えよ

金がいるにきまっている、また当惑せねばならぬにきまっている大きな不幸に対しては、必ず保険をかけておけ。

 

法則7.生命保険金は未亡人に現金で一時に支払われるようにはしておくな

実務に関する訓練も受けておらず、助言してくれる専門家ももたない一般の未亡人は、半詐欺的口車に乗せられて、短期間に保険金をなくしてしまうケースがよくある。

 

法則8.金に対して責任を持つよう子女を教育せよ

 

法則9.

もしあなたが堅実な収支の予算を作ったあとでも、依然として支出が収入を超越するようなことがあるとしたら・・・怒りっぽくなるか?お金をつくるプランを立てるか?

それまで誰かがしていそうな事で、でもまだしていない事をするのだ。

 

彼女はある店で、いかにも貧弱でまずそうなパイを並べているのを見つけた。彼女は店の主人に自分の作った自家製のパイを置かせてもらえないかとたずねた。じゃあ試しに少し置こうと言った。実は彼女は料理には自信があったが、今までパイを多く作ったことはなかったのだ。彼女は隣の奥さんに作り方を教えてもらって作ったところ好評!

どんどん置く量が増えていく。自分の家の台所で材料費以外は金を使うことなく多額の純益が出るようになり、需要が激増し自分の店を持つようになった。

 

ある女性、夫が病気で倒れ、彼女が金を稼がねばならなくなった。経験はないし、特殊な技術もない、資本もない。彼女はどうしたか?

卵の白身と砂糖で砂糖菓子を作り、学校の近くに出かけて行き、学校帰りの子たちへ安いお金で売ったのだ。「家でこしらえたお菓子を持って、毎日おばさんはここに来るからね」

生活に新しい熱情が湧いてきた、もう悩んでいる暇はない。

彼女は、往来でピーナツを売っている人に、キャンデーも一緒に売ってくれと頼んだ。

これが当たった。四年後に彼女は小さな店を持った。夜にキャンデーを作り、昼にそれを売った。この小心で臆病だった主婦は、十七の店を持つようになったのだ。

 

私(カーネギー)が言いたいのはここなのだ。

経済的に悩んだりしないで積極的に行動した、金を得るのにごく小規模な方法で始めた。

諸雑費も家賃も広告費も要らなかった。

あなたの周囲を見てごらん、しなければならない事で、されていないことがたくさんあるはずだ。

 

法則10.決して賭け事に手を出すな

あらゆる賭け事において成功する可能性はどのくらいあるものか、それがはっきり分かったら、君は汗水たらして働いて得た金を、競馬、トランプ、さいころ、パチンコなどに賭けている気の毒なおめでたい連中に同情せざるを得なくなるだろう。

 

法則11.もしわれわれの経済状態を改善することができないににしても、自分自身にあたりちらしたり、変えることのできない事を恨んだりはしないようにしよう。

哲学的になろう。

「哲学の真髄は、できうる限り外部の事物にわずらわされないで幸福に暮らすということに尽きる」

全世界を自分のものにして、その周囲に柵をめぐらしたとしても、君は一日に三回しか食事はしないし、寝るときはベッドが一つあれば足りるのだ。

 

第十部 私はいかにして悩みを克服したか―実話編 

①  煩悶する事柄の九十九パーセントは起こらない

  

40年以上も私は、誰でもが持つ夫として父として事業家としての苦労以外は知らずに楽しい生活をすごしてきた。ところが突然に大難がいくつも重なって来襲したのだ。

1.実業学校を経営していたのだが、学生が次々と徴兵されてしまい、また女子は軍需工場・・・そのため経済的危機に直面。

2.長男も入隊で心配だらけ。

3.広大な土地を飛行場として使うために収用が決定、私の家はその区域にあった。収用土地には時価の1/10しか支払われない。

4.私の宅地内の農場で多くの家畜を飼っているのだが、それらのための飲用の井戸が枯れてしまった。金をかけて新たに井戸を掘ればいいのだが土地収用が決まっている。立ち退きまでバケツで水を運ぶことになるのか・・

5.長女は高校を卒業しカレッジへ行きたかったのが、その学費が今はない。

 

これらの問題を全部紙に書いてみたが、現在の悩みはとうてい自分の手におえないような気がしていた。

1年半後、それらの悩みは一つとして現実にならなかったのである。

 

1.学校の経営問題…政府が退役軍人の再教育に補助金を出すことになり、私の学校は彼らで満員になった。

2.入隊している息子はかすり傷一つ負うことなく元気である。

3.土地収用の件は、区域内に石油が発見され土地の価格が暴騰したため予算が追い付かず収用はなしとなった。

4.土地収用がなしとなったので、新たに井戸を掘らせ、農場の家畜の飲用水は問題なくなった。

5.娘の進学については、カレッジが始まる2カ月前に、学校経営の仕事の時間外にやれる仕事を依頼され、金の問題は解決し娘をカレッジへ入れることができた。

 

くよくよしたり、いらいらしたりして煩悶する事柄の99%は、決して起こらないものだと言う人が大勢いるが、1年半前、私はその話は聞き流していたのだった。

これはわすれることのできない教訓を与えてくれた。

起こらないこと、起こらないかも知れないこと、人力ではどうにもならないことについて悩むのは愚の骨頂だということ。

 

カーネギー談

記憶せよ、

今日は、昨日君が思い煩った明日なのだ。

自問せよ、

今悩んでいる事柄が、本当に起こるかどうか誰にもわかりはしないではないかと。

 

② 憂鬱なときでも1時間で楽天家に

 

私は現状について憂鬱になっている時でも、一時間以内に、その悩みを追っ払って、自分を楽天家に一変させることができる。

歴史関係の本の書棚から、目を閉じたまま本を一冊抜き出す。なお目を閉じたまま適当にページを開く。そこを1時間読み続ける。世界は常に苦悶の渦中にあり、文明は常に危機に直面していることを痛感する。歴史の各ページは、戦争、飢餓、貧困、疫病、非人間性などの悲惨な物語に満ちている。

一時間歴史をひもといた後、現在の状況は決して良くはないけれど、過去に比べればはるかによくなっていることを認識する。それによって自分の悩みも大局に立って検討することができるようになった。

 

カーネギー談

歴史を読め!一万年の観点に立って物事を判断背せよ。

そうすれば君の悩みなど、永遠と言う点から見たら、全く取るに足らぬものであることがわかるだろう。

 

③劣等感から抜け出す-勇気と自信を

 

臆病、劣等感などのために悩んでいる気の毒な少年たちの心に、勇気と自信を呼び起こさせたいとの念願から以下を話す。

 

15歳の時、私は絶えず、悩み、恐怖、自意識過剰に苦しめられた。

身長は188㎝もあったのに体重が53㎏しかなかった。虚弱だったし、体操、スポーツでは他の少年たちに負けてばかりいた。私は懊悩と自意識過剰のため人と会うのが嫌だった。

もし私が、これらの悩みや恐怖で打ちのめされていたら、私は人生の落伍者になっていただろう。私は日夜、自分が大ののっぽでありながらひ弱いことを苦にして、そのことばかりが気になっていた。

 

私の両親は私を大学へやるだけの金がなかった。

2年がかりでいろいろなアルバイトをして金をため師範学校へ入学した。

服は古着、靴はぼろ・・・

私のその時の何よりの望みは、身体に合った、人に見られても恥ずかしくない服が買えるようになりたいと言うことだった。

 

ところが、その後間もなく四つの出来事があり、それによって私は懊悩と劣等感を克服することができるようになっていく。

そのうちの一つは、私に勇気と希望と自信を抱かせ、私の一生を一変させることになった。

 

1.師範学校に入学後わずか8週間後試験に合格して、第三学年終了の証明書を与えられ、

小学校で教えることが可能になった。これまでは母の他には誰も信用してくれなかっ

た私は信用された。

2.地域の教育委員会が私を採用してくれた。

3.最初の給料で、当時の望みだった“見られても恥ずかしくない服”を買った。この喜びは忘れない。

4.私の一生の分岐点、困惑と劣等感との闘争における最初の大きな勝利・・・

  ある地域で毎年行われるスピーチコンテストに出てみろと母に進められた。

  私は公衆の面前どころか、一人の人に対してもおろおろするような者だった。

  私を信頼してくれる母を喜ばせたい一心で一生懸命ぶちまくった結果優勝!

  これが、私の一生の分岐点になったのだ。今まで夢にも思わなかった潜在能力があったことに自ら気づいたのだ。

私はさらにいっそう高い教育を目指し、2,3年の間、学費を作るために働くとともに自分の時間を教えることと学ぶことに費やした。

大学で、法律と弁論術を学び、卒業後は法律事務所を開設、その後、州の議員、合衆国下院議員、次には合衆国上院議員となっている。

かつての私・・・臆病で劣等感を持ち、古着と古靴で」学校へ通っていた。

 

④私が悩みを克服した方法

 

肉体的疾患に対する精神的昂揚の勝利、人の精神的態度がいかに重大であるか。

今日という日が、人生の第一日であり、最後の一日であるかのように、毎日を生活している。

私は人生の毎日の出来事に興味をそそられる。興奮状態にある人はむやみに悩みで苦しめられたりはしないだろう。

人生における成功の大きな原因は情熱であると私は信じている。

 

しなければならない仕事がいっときに殺到した場合には、椅子にゆったりと腰をおろして、一時間ゆったりと何もしないですごすことだ。

 

私は、忍耐と時が我々の悩みを解決してくれることを知った。

2カ月も経てば、この悩みも解決しているだろう。そうだとするならば、なぜ今それを苦にするのか。2か月後に持つであろう態度を今持って悪いということはないはずだ。

 

⑤不可避を受け入れる

 

自分の生涯を振り返ってみるとき、私の力ではどうにもならないような出来事によって多くのことが形成されたことに気づく。

我々は宿命論者になるつもりはない。しかし、例えば猛烈な熱風が我々の生活の上に襲来したなら、我々はそれを阻止することはできないのだから、その不可避を受け入れるべきだ。

そして熱風が通過したら、残っているものを拾い集め活動を開始すべきだ。

 

⑥私は昨日立っていた。今日も立つことができる

 

彼女は、「今日に生きる」ことで悩みを克服した。

私は貧乏と病気のどん底を経てきた。私がどういう風にしてその悩みを切り抜けてきたかと聞かれたら、私はこう答える。「私は昨日立っていた。今日も立てるはずだ。明日どんなことが起こるか、そんなことにはくよくよしない決心だ」

私は一日一日をあるがままに生活し、明日を恐れることで悩みを背負わないようにしている。また私はユーモアを忘れないようにしている。なぜなら世の中の多くの事柄は泣いても済むし、笑ってもすませることが分かっているから。

 

⑦悩みの分析と問題に向かう建設的な努力

 

私は実に猛烈に悩み続けるので、よく病気になり、それが度重なるので、学校付属の療養所には私専用のベッドが設けられていた。私はあらゆることで煩悶し時には自分が何で煩悶しているのか、それを忘れることさえあった。

教授は言った。「君は落ち着いて、事実をはっきりと直視しなくてはいけない。君がいたずらに悩んでいる時間の半分だけでも、問題の解決にふりむけたら、煩悶はなくなるのだ。煩悶は、君が自分に入り込ませた一種の悪習慣にすぎないのだ。」

そして教授は、悩みの悪習慣を打破するための三つの法則を支持してくれた。

 

法則1.自分が悩んでいる問題はなにか、それをはっきりさせること。

法則2.問題の原因を見つけること。

法則3.問題解決について直ちに建設的な努力をすること。

 

私の悩みは、その原因をつきとめることを忘れ、事実を回避することから生じた心的混乱にすぎなかったことを理解し、悩みを解決していけるようになった。

 

⑧底まで落ちて生き残った

 

私は身体が綿のように疲れ切ってしまい、全身が恐ろしく痛み、休むひまがあると毒薬を盛られた人間のようになって眠った。そんな重労働の日々が続いていた時期がある。

今では何か厄介な問題が出来て悩みが起こりそうになると自問するのだ。「こいつとあの時のこととどっちがひどい?」と。「そりゃ、あれとは比べものにならないよ」と答え、元気を取り戻して問題と取り組めるようになる。

私は、人間は半死半生の目にあってみるのも薬になると考える。

底の底まで落ちて、それを切り抜けた経験は、日常の問題なんか何でもないことと思えるようになるのだ。

 

⑨私は常に兵站線を持っていた

 

兵站線(へいたんせん)という言葉、知ってました?僕は知らなかったので調べました。

「戦場において物資の輸送・供給などを行うため確保される連絡路。転じて、物流全般、または災害が発生した際などに被災地へ支援物資を送り届けるための交通手段などを指すこともある。」とのこと。

ここでは、“問題発生の場合の生活基盤“という意味で使っていると思います。

 

私は、二つのことを実行して、経済的悩みを最小限にとどめてきた。

第一は、あらゆることに対して100%の誠実ということを守る。第二は、何か新しいことを始める場合には、いつも、まさかの時のために切り札を用意しておくことである。これは軍事上何より大切なことは兵站線の確保であると軍事専門家は言っている。兵站線確保の原則は個人の戦いにも適用されると思う。

 

私は若い頃、貧乏のどん底を経験した。

私は、ある程度安定した仕事につけるようになり、その後もっと良い条件の仕事につくようになったが、さきの仕事は賃金は安くても安定していることから、いつでもその仕事にもどれるように手を打っておいた。これが私の兵站線だ。

彼は常に兵站線の確保に努め、決してその線を切断するようなことはしなかった。

彼はのちに、歌手として大成功を収めるに至る。

 

「この素晴らしい状態が永久に続くとは思っていない。どんなことが起ころうと、たとえ有り金を全部なくすようあことになっても悩みはしない。私は兵站線を確保しているのだから」

 

⑩インドで神の声を聞いた

 

私はインドで人生の四十年を伝道事業にささげてきた。八年目の終わりごろ私は激しい頭脳の疲労と神経的消耗に悩まされて、幾度も卒倒した。その後休養しては卒倒、休養しては繰り返す卒倒で精も根も尽き果ててしまった。私はこれからの半生を廃人として送らねばならないのではないかと危惧した。私の一生での最暗黒時代であった。

ある晩祈りをささげている時・・・ある事が起こり、これが完全に私に一生を一変させたのである。

 

「汝を呼んだこの仕事に、汝は従う心構えがあるか?」という声を聞いたのだ。

 「否、主よ、私はもうだめでございます。私の力は尽き果てました」

「もし汝が悩みを我に引き離して決してもう悩まないのなら、我は汝を守るであろう」

私はすかさず答えた。「主よ、私は確かにお約束いたします」

平和感が私の全身に満ち満ちてきた。主は約束し給うのだ!私の心は喜びにあふれた。

その時から私の生涯での最も多忙なニ十年以上が経過したが、昔の悩みは二度と戻ってはこなかった。

 

⑪治安官が玄関から入って来た時

 

私の人生で一番つらかった瞬間は、郡治安官が表玄関から入って来て、私が裏口からこそこそと出ていったその日に起こった。私の家を失ったのだ。こんなことが起ころうとは夢にも思わなかった。十二年前には、この世の中に私くらい幸せな人間はいないと思っていた。

家族と共に、夏はスイスで、冬はリヴィエラで、金持然として生活していたのだ。

私は、自分にはこれまで発揮していなかった隠れた才能があるような気がしてきたのだ。

私は自分を敏腕な事業家だと、うぬぼれるようになったのだ。

わたしには無知から来る勇気があった。不動産売買については何一つ知らなかったにもかかわらず、将来有望そうな土地を買って暴騰したら手離すという不動産売買で大きく儲けぜいたくな生活を得ようとしたわけだ。実業家として華々しく打って出るのに必要な資金を手に入れる方法は自分の家を抵当に入れることで得た。

 

突然に不況が旋風のように襲来して、暴風が鶏小屋を揺るがすように私を動揺させた。

利息の支払いや生活のため金が詰まってきた。借金のかたになるようなものもなくなった。

銀行は抵当権を行使して私や家族を往来に追い出した。

やっとのことで手に入れたわずかな金で小さなアパートを借り、そこへ引っ越した。

 

母がよく口にしていた古い諺を思い出した。「こぼしたミルクでくよくよするな」

しばらくあとで、私は自分に言って聞かせた。「私は底をついたが、とにかくそれに耐えてきた。これからは上に行くだけだ」

私は家を取られてしまったが、過去を悔やむことはよそう。母がよく口にしていた古い諺を毎日思い出すことにしよう。私は悩みに費やしていたエネルギーを仕事に打ち込んだ。

少しづつ私の状態は改善されていった。ああいう経験をしたことで、力と忍耐と自信を得ることが出来た。

今、些細な悩みや不安や心配が私の心を乱しそうになると、「俺は底をついたが、それに耐えた。これからは上に行くばかりだ」と自分に言い聞かせたときのことを思い出して、悩みや不安や心配を追っ払うことにしている。。

それ以上落ちなくなれば、上に行く努力は出来るはず。

 

⑫私は神に孤児院へ入れないようにようにして下さいと祈った

 

私の子供時代、私の生活は恐怖で満たされていた。母は心臓病で日に何度も床に倒れることがあった。今にも母が亡くなりはしないかと心配した。私は母を亡くした子供は皆、孤児院にやられるものと思い込んでいた。6歳の時には「神様、孤児院へ行かなくてもいいように私が大人になるまでお母さんを生きさせてあげて下さい」と祈っていた。

二十年後、私の弟は大怪我をして二年間も激痛に苦しんだあげく死んでしまった。

私は昼夜三時間ごとにモルヒネの注射をしてやらねばならなかった、二年間続けた。毎晩寝る前に目覚まし時計をかけて三時間ごとに起きた。

 

悩みの多い生活を送りながら、私は自己憐憫に浸ったり、世の中をのろったりして、自分の人生を暗くしないようにするため、二つのことを実行した。

たくさん働いて忙しさに気を紛らわすこと。

自分の運命をのろいたくなったら、繰り返し自分に言い聞かせた。「身体を動かし、食事ができ、激痛に悩まされていない限り、あんたは幸せな人間なのだ。どんなことが起こっても、決してそれを忘れてはいけない」と。

毎朝目が覚めると、自分で起き上がれて、朝の食卓まで歩いて行けて、自分で食べられることを、神に感謝した。私にはいろいろと苦労があったけれども、最も幸福な人間になろうと決心した。

カーネギー談

彼女は忙しくすることで悩むひまをなくした。また、自分に与えられている祝福を数えた、このテクニックは誰にも通用する。

 

⑬私は妻が皿を洗っているのを見て悩みの防止法を知った。

 

二、三年前、私は激しい胃痛に悩まされた。痛みで毎晩何度も目がさめた。私の父は胃がんで亡くなったので私もそうなるのではと心配だった。病院へ行っていろいろ検査をしたが、胃がんや胃潰瘍の兆候は認められないと言われ催眠剤を出された。医師は感情的緊張によるものだと、疲れ過ぎていないかと言った。なるほど私は休みなく働いていた。

常に緊迫した状態でくつろくことはなかった。常に緊張し、せかせかし、ありとあらゆることを苦に病む段階に達していた。医師の忠告に従い、毎週月曜日を休養日と定め、いろいろな責任や活動を減らした。

ある日、机を整理している時、非常に有効な一つの考えが胸に浮かんだ。

昔の書類やメモ書きを屑籠に放るように、なぜ過去の問題についての煩悶をまとめて屑籠の中に放り込まないのだ?これは、実に素晴らしい霊感とも言うべきものだった。その日以来私は、自分の力ではどうにもならないすべての問題は、屑籠に放り込むことにしている。

 

また、ある日のこと、妻の皿洗いを手伝っていた時、妻は皿を洗いながら歌をうたっていた。実に幸福そうではないか・・私は忽然として私の悩みの正体を掴んだ。私は今日の皿も、昨日の皿も、まだ汚れていない皿まで洗おうとしていたのだ。妻は今日汚れた皿を洗っているのだ。

今では明日の皿を今日洗おうなどと思うことは決してない。

カーネギー談

明日の重荷に昨日の重荷を加えて、今日それを背負うたら、どんな強い人間でもまいってしまう。

 

⑭私は話すことも指一本動かすこともいけないと警告された

 

私は精神的緊張と煩悶から突然発作を起こして卒倒した。

医者はもう三十分ももたないと言ったそうだ。心臓が極度に衰弱していたので口をきくことも指一本動かすこともいけないと言われた。

私は元来信心深い方ではなかったが、一つのことは心得ていた。それは神と争わないということである。「御心のごとくなさし給え…もし、そうならなくてはならないのなら、御心のごとくなさし給え」と心で祈った。

私の心がこう決まると、たちまち全身がくつろいだ気持ちになって、恐怖は消失した。

もし私が最悪の事態、死の一歩手前に直面しなかったら、今こうやって生きてはいないだろう。もし私が最悪を受け入れなかったら、自分自身の恐怖と狼狽で死んでいたに違いないのだ。

 

⑮私は煩悶放遂者である

 

私が悩まないでいられるのは、主として次の三つのことによっている。

1)私は実に多忙で、自分を破壊するような不安感にふけっているわけにはいかないのだ。

2)一つの仕事から次の仕事に移行するとき、前の仕事で考えていたことは全部放遂してしまう

3)一日の仕事を終え事務机を片付けるとき、私はあらゆる仕事の問題を心から取り去るよう自分を訓練してきた。これらの問題を家に持って帰って、それについて悩んだりしようものなら、私の健康はそこなわれているだろう。そして、それに取り組むに必要な能力を破壊してしまっていたであろう。

 

終りです。