いつも通り、1960年(昭和35年)頃の話です。


当時は、日常の食料品や、その他の日用雑貨は、町の小売商店で買っていました。

町には、駅の近くや住宅街の近くに、商店が立ち並ぶ通りがありました。


頭にそこの町名○○をつけて、「○○銀座通り」という“通り名称”がつけられていることが

多かったです。

 

現在でも、この形式の商店通りで活気あるところは、たくさんありますが、

住宅街の中にあった場合は、多くがシャッター通りになってしまったり、

賃貸マンション、駐車場などに変貌してしまいました。

 

僕の実家の近くに○○銀座通りは、大盛況でした。

幅員4mくらいの道路の両側に、生活用品すべての小売商店がずらりと並んでいました。
 

その通りが毎日、夕方には大混雑でした。

今は、日常の買物は夕方とは限りませんよね。
なぜ、夕方に買い物客が集中したのかと思いますか?

 

野菜はともかくとして、

魚や肉などの生ものは、調理のなるべく間近に買う必要性があったからです。
・・というのは、1960年での電気冷蔵庫普及率は、驚きのたったの10%


50%を超えたのは1965年(昭和40年)以降で、

普及率がほぼ100%になったのは、1975年(昭和50年)だそうです。

 

上で、わざわざ、”電気”冷蔵庫と書いた理由はなんでしょう?

昔は、電気ではない冷蔵庫もあったのです。滝汗

冷やしの素は氷です。

大きな氷の冷気で冷やすわけ・・・なので氷屋もありましたよ。
 

それはともかく、ズラリとならぶ小売店、食料品の各店から、日用雑貨、靴屋、下駄屋、靴屋、傘屋、布団屋、家具屋、洗濯屋、そして食堂、歯医者、床屋、甘味の店等々、日常的なことはすべてここで揃ったわけです。

 

八百屋などでは商品運搬用に軽オート三輪↓を使っていました。

 

    
           (画像はWikiより)


ミゼット、1957年(昭和32年)発売、1人乗り、扉なしのバーハンドルΣ(・ω・;|||

頭と背中は幌だよ!
扉つき、丸ハンドルはそのあと。

 

だが、しかーし・・・


1980年(昭和55年)頃からかな・・・中型スーパーが進出、小型スーパーも進出で、

小売商店は売れ行きが落ちる一方、さらにそのあとで、大手スーパーが出来たら、

・・・・・

何もかも終わりましたって感じとなりました。
 

 

つい数年前までは、昭和の名残りを残していた染物屋やラーメン屋があったのですが、

廃業し、昭和の匂いは、ほぼなくなりました。


今や、その銀座通りは、昼間でも人影すら見えない通りとなっています。えーん