参照:2018.9.14の僕の記事―自由民主党総裁=総理大臣の系譜①:まず始めに

 

このシリーズは、僕の趣味のようなもので、

自民党の総理大臣は、閨閥のなかでの総理が多いのではないだろうかいう思いの下、

単純に知りたいという思いで「調べたものの備忘録」のようなものです。

 

 

58~60代 総理大臣:池田勇人氏(60/7/19~64/11/9)

 

生家が造り酒屋というのは、当時の政界進出者の一典型で、地元では素封家。

 

池田勇人自身の人生スタート時点ではさほどのものは感じませんでしたが、

自身の結婚、娘の結婚で驚くべき閨閥が広がっていました。

 

前妻・直子は、

貴族院議員・伯爵広沢金次郎の娘で、維新の元勲・広沢真臣の孫である。

しかし、直子は若くして狭心症で亡くなる。

直子の兄の姻戚には侯爵大隈信常がおり、華族の名門である。

 

後妻・満枝との間には、3人の娘がいる。

 

長女・直子の夫は、

戦後の金融王と言われた相場師の近藤荒樹の長男・近藤荒一郎(後に衆議院議員)。

池田勇人が岸内閣の蔵相として活躍していた1957年頃は、高額所得番付で全国6位にランクされるほどの資産家だった。

近藤荒樹の後妻が元伯爵の明治神宮宮司甘露寺受長の長女・績子という関係から

旧皇族の北白川家までつながる。

 

二女・紀子の夫は、

婿養子で、大蔵官僚、衆議院議員、外務大臣などの池田行彦(旧姓粟根)

妻の姪・慶子の夫は衆議院議員の寺田稔

 

三女・祥子の夫は、

日本ゴム会長石橋進一の長男でブリヂストンタイヤ会長石橋正二郎の甥にあたる

石橋慶一

 

この結婚で池田家はさらに閨閥を広げ、鳩山一郎(総理大臣)、石井光二郎(衆議院議長・副総理)、三井財閥の團一族とも“血の連鎖”を結ぶようになった。

 

 

あまりにも膨大な閨閥となり、書き切れない、まとめ切れないほどの閨閥である。

皇室、政治家、鳩山一族、三井財閥一族までもが関係しているということに驚いた。

 

 

1951年、正力松太郎からの要請で、日本初の民放テレビ・日本テレビ放送網設立のための資金を財界人から調達。

同年、日本医師会の田宮猛雄会長、武見太郎副会長から請求された健保の診療報酬大幅引き上げは、1954年の「医師優遇税制」と形を変え導入された。

財界を中心に支持者が多く、池田ほど金に恵まれた政治家は戦後一人もいないともいわれるとのこと。

 

 

(以上、主としてwikiによる)