今夜もまた、6年前の今ごろアップしたものを載せます。

 

19才のときの10分間程度の思い出をベースにした創作です。

 

 

幻覚


すっと落ちるような感じ、意識がストンと瞬間的に落ちて、何処かへ飛んで行ってしまう感じを覚えることがよくある。

また、日常の行動をしている時に、ふと気がつくと、その時、自分は別の世界にいた、少なくとも意識は別の世界にいたと感じることがある。

覚醒している状態で、無意識的に夢を見るということはあるのだろうか。

或いは、脳血栓とか脳梗塞などの前兆なのだろうか。

けれども、これを初めて自覚したのは、十八、九才の頃だから脳の病気の前兆が三十年間も続く事はないだろう。となると何なんだろう、この感覚は。


その時、僕は予備校を出て、大学へ入ったばかりだった頃のような気がするから、たぶん十九才だったのだろう。

当時の国鉄千葉駅から、十分ほど歩いたところにある千葉公園の池によくボート乗りに行っていた。

 彼女もいず、大学に入ったばかりで親しい友人もまだいなかった僕は、よく一人でその公園に行ったものだった。

浪人して予備校へ行ったにもかかわらず、成績は伸びるどころか、高校の時には、滑り止め以下だった学校へやっと合格という体たらくの状況におちいって、そこからまだ這い上がれずにもがいていた。

僕は、水の上でゆらゆらと漂うボートの上に、ごろりと仰向けに寝転んで何を考えるでもなく、ぼんやりと雲の流れを見るともなく見て、過ごす様な時が多かった。

あのときも時間を浪費しただけで、うれしくもなく、悲しくもなく、幸せでも不幸でもなく、ただ何が何だか分からない虚しさだけを感じながら、帰り道の駅に続く線路下の地下道を憂鬱そうな顔をして歩いていたんだと思う。

 

ふと何かに思いが及んだ時、あれっと感じるものがあった。

その時、その瞬間に僕はいつもの自分に戻ったと感じた。いつからかは分からないがその瞬間まで、僕はいつもの自分とは異なる自分として、いつもとは異なる世界にいた。まるで夢を見ていたような感覚なのだが、夢と違い、現実感が強くはっきりと内容を覚えていた。

でも、歩きながら夢を見るのだろうか。覚醒した状態で、そんなことは有り得ることなのだろうか。常識的には、あるはずのないことなのだろうが、でも十九才の僕は、その時は十五才の中学三年生だったのだ。

どこからか、当時はやっていた愛しのラナというヒット曲とジングルベルが風に乗りゆらゆらと混ざり合いながら流れていた。僕は課外授業の英会話の講習を終え、ある少女と手をつないで、彼女の家へ向かっていた。木枯らしが吹くなか、僕たちは肩をすぼめながら、彼女一人ならバスで帰る道を少しでも一緒にいる時間が欲しくて遠回りをして歩いていた。

「もうすぐ発表会があること知ってるわよね。もう、ほんとうはこんなことしている時間がないの。わかるでしょう。高校へ入れば、もっとたくさん一緒にいられる時間、つくれると思うの。自由になれると思うの。ねっ○○ちゃん、わかってくれるでしょ」

彼女は、ピアニストになるという夢があり、いい音大に入るには今やっているピアノのレッスンは非常に大切なことなのだ、最優先されるべきことなのだとしじゅう聞かされていた。そのことは理解していたつもりなのだが、僕は、いつも、こんな風にはぐらかされていた。


 中学の入学試験の時のことだ。細い道をぞろぞろと学校へ向かう生徒のなかにいる彼女をひとめ見た時、初めての大人の恋といった感じで、胸がキュウンと締め付けられるように熱くなってしまい、彼女から視線をはずせなくなってしまった。彼女も僕に気づき、小首を少しかしげ、微笑んだ。

それ以来、僕は、彼女のとりこになってしまった。ふたりとも、合格し、うまい具合にクラスも同じになった。

入学式の日、僕たちはみつめあい笑みを交わした。彼女も僕を覚えていてくれた、それも悪くはない感じで。

僕は、電車で三十分かけて通う私立中学に多少の優越感を持っていたが、そんなことは関係なくなり、彼女と会えることだけで有頂天だった。初めは見つめあうだけだったが、彼女の友だちが取り持ってくれて、友だち以上、恋人未満といった感じからつきあいだしたのだった。

どこがそんなによかったか? 僕のいた小学校にはいないタイプだった。ふだんはいたずらっぽく、くるくると動く瞳が、ときには憂いを漂わせ、いぶかる僕に、ごめんなさいねなどと言って、小首をかしげ、微笑みを浮かべて、僕を見つめる。

そんな眼差しが僕に向けられただけで、舞いあがってしまった。僕が読んだこともない小説家サガンの「悲しみよ、こんにちわ」が好き、でも、あなたには読ませたくないわなんてことをちょっと悲しげに僕に言う、そして映画は近いうちに、「春のめざめ」を、「アラビアのロレンス」を見に行くなどと、僕にとっては大人の女のようなことを言う唇、そして僕まで、彼女とつきあっていると大人のような気分になってくる心地よさ、擬似恋愛とでもいうのだろうか。僕は完全にとりこだった。

したがって、彼女は女王様で、僕は忠実な親衛隊といったところか。   

彼女を傷つけたくない、僕を好きでいてもらいたい、彼女の言うことはなんでもきいてあげたい僕は、理解力のあるようなふりをして、いつも折れていたのだから。

こんな状況は、別れては、また、つきあいだすといった繰り返しを経て、僕の結婚で自分の心にピリオードを打つまで、初めて会ったときから、なんと十三年も続いたのだった。


「私ね、もうすぐピアノの発表会があるの。わかって欲しいの。時間がないの。高校に入れば、時間、たっぷりと作れるはずよ。ねっ○○ちゃん」      

 そんなことを言いながら、実は、他のやつとつきあってもいるのだ。   

でも僕は、こう答える。

わかったよ、しばらく、ほうっておいてくれっていうんだろ、我慢するよと。

ところが、あの世界では、そうは言わなかった。

 

「人の心を弄ぶのもいいかげんにしろよ。僕は疲れたよ、君とはもう終わりにするよ」

予想外の答えに彼女は驚きの表情で僕をみつめた。

その時、頭がくらっとして気がつくと僕は、十九才の現実に戻っていた。ボート乗りの帰り道、駅に向かって歩いていた。そんな時に偶然というか、通りすぎる電柱に白昼夢という映画のポスターが張ってあった。今のみたいなのを白昼夢というのかななどと思ったが駅に着く頃には、もう忘れていた。

 

千葉駅には、勤めを終え、家路に向かう人々の時間帯になりつつあった。いい仕事をして充実感を得ての帰り道か、そうではないかは僕にはわからないが、少なくても、何の達成感もない毎日を送っている僕よりはましだろう。

 彼らは、家族のため、自分のために働いている。

僕は、家族のためにも、自分のためにも何もしていない。

何かいいことないかなあなんて漠然と思って、流れる雲をながめているだけだ。

梅雨があがったばかりで毎日蒸し暑いが、冷房付きの車両なんて総武線にはめったにない。生ぬるい扇風機の風が車内の空気をかきまわすが、ないよりはましといった程度だ。

頭が重い。まだ夏休み前だが、受けるべき授業はなく、この数日間というもの、イレブンPMを見ながら、一番安いウイスキーを飲んで、毎日夜更かしして、昼頃まで寝ているせいだ。もうすぐデパートのバイトが始まる。時給百二十円で、たった二十日間だが、ひょっとしたら何かいいことがあるかもしれない。これに期待して今日は早く寝よう。