【1.なんで、こうなるのか】
彼、山崎翔太の小学生時代は、積極的で明るく、
学年末の学芸会の演劇では、プロ劇団に入っている子を抜かして、
オーディションで2回主役に選ばれるほど元気で目立つ子だった。
小学校の教育方針も、自由でのびのびと育てるという方針だったからこそ、
彼のいい部分が、引き出せたのだろう。
ところが、中学は、まるで異なる教育方針の学校だった。
その中学は、彼が入学する数年前まで荒れに荒れた学校で、
新聞記事に載ることも何回かあった。
窓ガラスは、そこいらじゅう割れているし、廊下で煙草を吸っている生徒もいたと言う。
実際、近くの公園では、授業中に抜け出し、
煙草を吸いながらたむろしている生徒を私も見かけたことが何度もある。
そんな状態から抜け出すべく学校側が打って出た方法は、
生徒に対する厳しい締めつけだった。
あーしなければならない、こーしなければいけない・・・
何々しなければならないだらけのがんじがらめの規則を作り、その通りにさせた。
その結果、見かけ上は、ガラスも割れなくなり、煙草を吸う生徒もいなくなった。
そんな状況になったばかりの頃、彼はその中学に入学した。
まだ、”ければならない”状態の校風は、引き続いていた。
のびのびとした小学校とはまるで異なるぎすぎすした校風に、
明るく元気なだけでなく純粋だった彼の心は、しじゅう傷つけられていった。
彼が自分の異変に気付いたのは、高校入試のときだった。
試験の用紙を前にして、解答出来るはずなのに、手が動かない。
答を書きたくても、書けないのである。
答を書いたら、とんでもなく悪いことが起こるから書いてはいけないという観念が
頭を埋め尽くしたのだ。
したがって、白紙提出となった。
そして、面接のときも、言うべきことは分かっているのだが、
言葉に出すことが出来ないのだ。
結果は、当然、不合格である。
わけの分からない強迫観念が頭の中を埋め尽くしてしまうのだった。
さらに、
学校へいくために玄関から足を踏み出すというしごく当たり前のことが出来なくなった。
行くなという観念が襲ってきて、
意識して、心の中で”足出せ、足出せ”と命令しないと足がだせないのだ。
そして、右足、左足と声に出しながら、一歩づつ玄関から出て行かねばならなくなった。
(2)へ続く。