昔、中学が荒れに荒れていた時代があった。

 

なかでも、彼が住んでいたそばの中学の荒れ方は特にひどく、新聞に二度、三度と荒れる中学校の記事として取り上げられたいた。

窓のガラスはあちこちで割られ、廊下には煙草の吸殻が落ちている、校庭は雑然としてゴミで散らかっていた。

授業時間中、無免許で校庭をバイクでバリバリとふかしながら乗り回す奴もいたし、学校裏の公園では煙草を吸いながらだべっている奴もいたのだ。

 

いったい学校側は何をしているのか、注意もせず、見回りもしないのか・・・

教師には、そいつらは見捨て無視するようにという校長の指示でもあったのだろうか。

彼は、その中学校の教師らが、彼らがたむろしている公園をまわっているようなことは見たことがなかった。

 

それから、5年ほど経った頃、その中学校はがらりと変わっていた。

生徒は、皆明るく礼儀正しいし、校内に入るとこんにちはと挨拶してくる。

校庭も綺麗だし、窓のガラスが壊れているところなんかない。

校舎内も整然としていて、「廊下で煙草を吸わないこと」なんていう嘘のような注意書きが昔は貼ってあったということが信じ難い。

 

たぶん、校長が変わって、学校内も大きく変わったのだろうなと彼は思った。

これなら、自分の子をこの学校に入れても大丈夫だろうと思ったのだ。

その考えは甘かったことを、かなり後になって気づくことになる。

 

なぜに、短期間でこうも変われたのか・・・校長を始め教師たちが、生徒に対し本気になって愛情を注ぎ、一人々々のことを思い指導してきたから変われたわけではなかった。

ただ単に、がんじがらめの規則で生徒たちを縛りつけただけ、あれしちゃいけない、これもだめ、あれもだめ、こうしなさい、言うことを聞かなければろくな目に合わないぞ、これだけだ。

 

見た目だけなら、“美しく”なれるだろう、しかしその美しさは、生徒一人々々に愛情を持って育てていくこととは、まるっきりかけ離れている。

一から十まで決まっている細かい規則、どうでもいいようなくだらない規則。

守らないと手厳しく怒られる。

そんなもん、要領のよい子は、へへと笑いながらすり抜けて、おりこうさんぶることは簡単だから、大して苦にもならない。

真面目な子ほど、心疲れ、理不尽な思いをさせられ時に自分だけが損をする。

 

彼は、当時、深くは考えていなかった。

息子によく言っていた、「そんなもん適当にやってりゃいいんだよ」と。

彼の息子は、小学校時代、真面目ではあったけど明るく何にでも積極的に行動できる子だった。しかし、中学校に入ってからは、元気がだんだんなくなっていった。

ある日、その子にとっては理不尽と思えることがあり、職員室に行き、その疑問を教師に問うたのだ。

 

その教師曰く・・・

「細かいことをうじうじと言うお前は、まるで女の腐ったような奴だな」

疑問を問うたことに対する答がこれだよ。

これって、生活指導の教師が言う言葉か?これが生活指導か?!

 

これが、この中学の本当の体質だったのだと、彼はあとで気づく。

息子の話を聞いたとき、彼は即、学校へ抗議に行くべきだったのだ。

しかし、息子に言った言葉は、「そういう馬鹿な教師には言わせておけ」

対大人なら通用するが、これは乱暴な言葉だった。

教師対生徒、生徒が弱い立場になるのは分かり切ったことだったのに。

 

彼の息子は、職員室で、「女の腐ったような奴」と罵られ、それをとがめる教師もいない、孤立無援状態だったわけだ。

その子には、大きなトゲが刺さってしまった。

20年以上たっても、取れないような大きなトゲが・・・

 

彼は、その教師を職員室で詰問して論で叩きのめし、その先のことを考えるべきだったのだ。