解析結果が出ると、一日最大交通量の将来予測や、交通の方向予測などを立て、それに基づき道路の幅員構成や交差点の右左折路線の延長などを検討して、発注者の役所と打合せをする。
実際の実務をやっているのはコンサルタント側であるが、形としては役所の指導によりコンサルタントが動くということになっており、役所発注の仕事は、コンサルタントの名前は原則的には表には出ない。

長引く不況時代であるにも係らず、周りと比べ年収はかなりいいし、とにかく頑張れば社内での地位も上がり、当然のことながら収入も上がることは間違いないだろう。
また、地域計画系統の仕事から離れたら、もはや今以上の収入を得ることは難しいと思われた。
しかし、やっている仕事内容を思ったり、上司を見ていると、果たしてこの会社は自分にとって望ましいのだろうかという疑問が、一年やってきた中で出てきてしまう。

個別建築物の設計をやりたかったという最初の目標を、森村祐子のことで投げやりになり適当に放棄してしまった自分が一番悪いのだが、やればやるほど自分のやりたかったことから離れている。
しかし、もはや安月給へは今となっては引き返せない。
けれども、仕事の一部分とは言え、交通量調査の監督やバイト募集などは、まったくの好みではなく仕方なくやったわけだ。

また、このまま頑張れば、いずれは室長になるだろうが、室長自身もいつも超多忙であり、“任せてしまえばやり切らざるを得ない”的な会社なので、責任が重くなるだけで、いい状況になるとは思えない。どの上司を見ても疲労困憊の様子が見て分かる。

裕也は、一年も在社するころには、将来への希望を見出せなくなり、だんだんと嫌気がさしてきた。日に日にやる気が失せていく。

ある日、無断で会社を休んだ。
会社へ行くつもりで家を出たのだが、足がどうしても会社へ向かなかった。
携帯の電源を切り、途中下車し、しばらく歩いて九段下の北の丸公園に沿う千鳥ヶ淵に行った。ボート乗り場が開くまで、近くのベンチに腰掛けため息をついた。

ボートに乗って漕ぎ出して、上着を脱いで仰向けに寝転んだ。
ゆらーり、ゆらーりと静かな水面に漂うボートから、青空をゆったりとした速度で流れていく雲を見た。
あー、子どもの頃、家の縁台に寝て、同じように空の流れる雲をずっと眺めていたんだよなあと思いだす。
あの頃は、どんな悩みを抱えていたんだろう?何の悩みもなくただ空を見ていたのだろうか・・・

理絵に、今までできなかった贅沢をさせてやると言った。
理絵はありがとうと言った。
三年間、くそ会社で我慢してやっと得た高収入の会社、とにかくこの一年間やり抜いた。しかし、どうしても納得がいかない。
金は得ているが、やりたいことは何もやっていない、何かが違う。
この不況時代、状況の流れる波に乗ってしまうのが正解なのかも知れないが、どうしてもそれを自分自身に納得させることができないのだった。