小林係長を始めとする彼ら3人は、この1年半の間、いったいどんな仕事をしていたのだろうか?
単なる下請けの切れ端のような、部分的な細切れ仕事をやっていただけに過ぎないのではないかと思われた。
計画分野の指導者はいない上に、係長という名の小林は卒業後、研究室にいたと言うが、助手をやっていたわけでもないし、大学院で勉強しながらゼミで何かやっていたわけでもない。
ただ単に就職せずに、研究室に卒業生という身分だけで出入りしていただけのことなのだろう。

今回のような一括丸投げ発注を受けたのは初めてらしい。

社長が、元請会社に対し、うちも業界トップの会社にいた人間(裕也のこと)を入れたことだしなどと、調子のいいことを言ってもらって来たのかも知れない。
なにしろ、裕也のいた会社は業界ではトップクラスなので、その名の威力はけっこう使えるのだ。

しかし、実際のところ、この会社においては計画分野でのトップは形式上は小林係長なのだが、彼は右往左往するばかりで、スタート方針すら立てられないのだ。
それも仕方のないことか・・・なにしろ、入社後は自分の上の指導者がいなかったのだから。

それに比べ、裕也は嫌々ながらとういうものの一流企業の計画トップの特訓を1年半はこなしてきたのだ。期間は短いとしても、この1年半の特訓で身につけたものは大きかった。
この会社の計画課では、企画力、計画力、プレゼンテーション、何をとっても、裕也の能力が抜きんでていることは確かだったと言える。
結局、受けたプロジェクトのメインの計画、施主打合せの段取り等、ほとんどを裕也がやりきっていった。
一級建築士の古川も、畑違いではあるが、企画力や経験では他の3人とは格段の差がある。

このとき、裕也は、嫌だろうが嫌いであろうが、短い期間であったにせよ、厳しい指導があったことがどれほど役に立っているかということをつくづく思う。
メインになって仕事を進めてきたが、形式上は小林が上司であり、社長は小林がまとめていると思っている。
馬鹿々々しいにもほどがあるが、しばらくはここで頑張るしかないと裕也は思った。
とにかく、実績を積まないことには中途採用の対象にならないから3年は留まることに決めた。

一級建築士の古川は、あまりのレベルの低さと、社長の偏見的依怙贔屓に愛想をつかし、4ヶ月でやめてしまった。
その彼が去った後、社長曰く、「彼がうちに入ったのは、前のところをやめて、次が見つかるまでのただの腰掛けにすぎなかったんだ、資格と経験を持ちながらうちみたいなところでは、しょせん落ち着くはずがない」

裕也は、馬鹿かと思った。
たとえ自嘲的に言っているのだとしても、自分で自分を、自分の会社を、またその会社の従業員も馬鹿にしていることになるではないか、いいかげんにしてくれよと思った。