より良い会社への再就職をするという自信を持ってやめたわけだが、現実はそうは甘くなかった。現役大学生でも、就活に明け暮れ、やっと内定が取れても業績不振で内定取り消しが相次いだ時代、卒業1年半では一級建築士の資格を持つどころか、受験資格すらもないうえ、卒業1年半くらいでは世間を少しは知ってフレッシュさに欠けてしまったというだけ、仕事はできないしで会社にとってはメリットがないので採用する気にはならないわけだ。
ある程度のレベル以上の会社の中途採用で技術者を募集しているところへ次々と応募した。しかし、いくら裕也が頑張って自己アピール書を作成して書類を送っても、書類選考で落ちてしまう。
経験1年半くらいでは、中途採用の枠にも入らないのだ。

何だかよくわからないが、一応の彼女だった高島瑞穂とも退職後は一回会ったきり、次の約束をすることもなく、その後の連絡もなく自然消滅の感じである。
また、在社時はなにかと裕也に係わりたがっていた女子社員たちも、電話をかけても素っ気ない対応で冷たかった。
要は、裕也がもてたのは、一流企業の有望課の中で、いろんな意味で目立つ有望社員とみなされていたからのことだけであり、いざそこを去ってしまえばこの先どうなるか分からない関係のない男にすぎなかったのだ、ということを裕也は思い知る。

結局、半年間、仕事が決まらなかったが、在社時のボーナスで十分食いつなげたので、親の世話になることもなく生活には困らなかった。
半年も決まらなかった仕事が決まった理由は単純である。
企業レベルを落とし、建築にこだわらないと決めた。
レベルをがたりと落とせば、在社1年半と言えども裕也のいた会社は業界では有名なので、それを箔として見てもらえる。
もう年貢の納め時だなと心を決めたら、簡単に決まってしまった。

そこは、設立年数が浅い土木建築設計業、わざわざ同じ業界の一流企業を退職した意味はなかったとも言えるわけだ。
総勢で30人くらいで土木設計が主、まだ下請け専門であった。
渋谷の道玄坂を上りきったところに大手建設会社の12階建て自社ビルがあり、3階までは貸しフロアになっている。
裕也の入った会社は3階のフロアの約1/3で、建築資材会社が約2/3使うかたちとなっていた。
社長と常務取締役と取締役設計部長、設計課長、設計係長、そして裕也が配属された計画課は、課長不在で、地方の国立大学の研究室に卒業後2年間いて、一昨年この会社に入ったという、小林という裕也より二つ年上の男が係長、
あと裕也と同年齢者が二人と、裕也と同時期に入った一級建築士の資格を持つ古川の計5人だけだ。

入社早々は、特には計画系の仕事がなく、設計部の下働きや、教えてもらいながら、信じられないことには、小さいながらも橋梁の設計なんかをした。

ある日、この会社の計画課としては、長期的大型物件となる駅前広場計画及び設計のプロジェクトが土木の設計屋しかいない元請会社からの丸投げを受注した。

いざ、スタートしたが、その段階で、早くも係長の小林をはじめ、古川以外は、あまりにレベルが低いことを知り裕也と吉川は驚きを隠せなかった。