たとえば、二人がよく行く喫茶店、裕也とあるウエイトレスと偶然に目が合ったときがある。
すかさず祐子は言った。
「あの人、可愛いよね、いつも見つめ合ってるよね。私のことなんか放って、声をかければいいのに」などと自虐的なことまでいうようになってしまった。

そんなことの度ごと、裕也はなだめ祐子は落ち着いて笑顔を取り戻すが、家に帰れば親がいる。そして気持ちは動揺してしまうのだった。
常に支えが必要な女・・・
裕也と一緒にいるときは、裕也に支えられているが、家に帰れば親に支えられて、裕也のことが心配になってくる。

そんなことを繰り返しているうちに、祐子の父に飛んでもないことが起こった。
年が明けてすぐに、糖尿病による併発だった慢性腎不全が急に悪化し、急性腎不全のような状態となって急死してしまった。享年74才。
祐子の動揺はますます大きくなる。
残された73才の母は、裕也との交際に初めから強く否定的だったし、それは娘の安定的な幸せを願う親心に根差したものではあったのだが、それとは別に、父よりもさらに大昔のような世間体を気にする人間だったこともあってのこと。

同じ家に住む長男の娘は近々、社会的にそれなりの立場にいる人と結婚するというのに、その叔母にあたる娘は、わけの分からない学生といつまでも“遊んでいる”という思いは、夫に先立たれた今、さらに強まるばかりだ。
後者の思いは、娘を思う親心ではなく、世間体に対する古臭い親の見栄だけだった。

祐子の兄の娘の結婚の時期についての話がいよいよ本格的になってきた頃、祐子の母親は祐子には黙って、勝手に祐子のお見合い相手を、亡くなった夫のつてを頼って探していた。

裕也と祐子がつきあっていることを知っている者は、大学内ではただ一人、祐子の親友でもあったカウンターの右隣に座っている女性だけ。

平日に二人が会うのは、だいたい夕方5時半にすぐそばのJR駅のホーム待ち合わせだった。
いつも裕也が先にホームにいると、祐子が早足で駅に向かって歩いてくるのが見える。
祐子は、彼に気づき微笑む。
ホームに降り立っても、近づかないで微笑みを交わして、電車が来たら乗るのだ。そして五つ目の駅で降りてから両者近づいて手をつなぐ。そこからデートが始まっていた。
そんなたわいもないことが、もはや懐かしかった。

祐子は、会えば、もうどうしていいのか分からないと言って、泣くようになった。
裕也は、約束は必ず実行するから、とにかくあと1年少しだけの辛抱だからと言う以外、言葉がなくなってきたのだった。