僕は、大急ぎで、隣の檻にいるおじさんに、雑務員のことを伝えた。

おじさんは、しばし考えた。


人数は少ない方が目立たないが、この園内のことを雑務員はよく知っているはずだし、

園外の最近の状勢をよく分かっている者がいることは、強みにもなるという判断で、

雑務員の同行を即断した。


僕は、そのことを雑務員に話した。

雑務員は、大きくうなずき、自分も必ず同行させてくれると思っていたと言った。


なんと、用意周到にも、乾燥食料と缶詰と水をデイバッグに入れて、背負っているだけでなく、

雑務員宿直時に使う寝袋も四人分持ってきていた。


なんと準備がいいことか、僕たちにとっては、非常にありがたいことだった。

僕は、檻備え付の給水器を背負って歩かないで済む。


さあ、あとは出発するだけだったが、予定外のことが出来た。

雑務員を殴って逃げるというシーンの代わりに、エサを食べることが出来た。


まず、すべきことは、檻のすぐ前にある非常口から、抜け出して牛や豚に見つかることなく、

動物園外へでることだ。


僕たちは、非常口を出て、最初にあった茂みに入り、黄色い飼育動物服を脱いで、

白い雑務員服に着替えた。


園路を歩いている動物は見当たらなかったが、雑務員を先頭に茂みの中を10分ほど進んだ。


サイレンが鳴らないということは、僕たちの逃亡をまだ誰も気づいていないということだ。


出入り口の扉や柵は、鍵はかかってはいるけれど、せいぜい150cmくらいで高くもない。

それに上部も平坦でとがってもいなかったので、乗り越えるのは簡単だ。


まずは、デイバッグや寝袋を、上から外側へ落とした。

そして、柵の高さくらいの身長の”海”のために、その辺にあった箱や板を持って来た。


まず、おじさんと雑務員が柵を乗り越えて外側へ降りた。

次に、”海”を踏み台に上がらせ、自力と下から押す僕の力で、柵の上まで行かせ、

外側で待っているおじさんたちのところへずり落ちさせた。

そして、最後に僕が乗り越えた。

園内は、まだ静かだ。


さて、目的地は、里見公園だが、行き方については、おじさんより当然、雑務員の方が詳しい。

里見公園までは、歩いて1時間半くらいとのことだった。


僕たちは、極力、道路を避け、茂みのある区間は、茂みの中を歩いて行った。


僕や”海”にとっては、初めての檻の外だ。


興奮するとか、怖いとかの感情ではなく、とにかく何だか分からないが、

おじさんたちの後をついて歩いていた。


道々、雑務員がしゃべったことによると、彼は佐藤という名で、子どもの頃、最初の人間狩りのとき、

両親とともに逃げたのだと言う。

途中の大混雑の中、母親ははぐれてしまい、それ以来、行方不明だそうだ。


そして、父親とともにホームレス生活を10年間ほどやっていたところ、再度の人間狩りで捕獲された。

ともに、幸運にも養人場送りではなく雑務員にされ、彼は市川の動物園に、父はどこで何をさせられているのかは分からないと言った。


今では、牛と豚が君臨する地球上で、人間管理の状態も安定してきたとのことから、

人間の身分は永久に代々変わらないこととなっているそうである。


その方が、人間が余計な知恵をつけることもなく、他に考えられないように出来るということらしい。

つまり、たとえば養人場で、人工授精で生まれた人間は、そこしか知らずに一生を終わらされることに、

疑問を持ちようがないという牛や豚の発想だ。


そんな話を聞いているうちに、里見公園に入って行く横道のところまで来た。

おじさんは、言った。

「懐かしいなあ・・・もう、2年も経ったんだなあ」