脱出するためには、まずは雑務員用の服が必要だった。
人間が、支給されている服は、4種類しかない。
動物園飼育動物用、僕たちが着ているやつだ。
雑務員用、動物園エサ係、エサ製造、清掃、その他の諸々の雑務についている人が着る。
特殊作業員、医者やその他の特殊能力を持つ者に与えられる。
あと、養人場動物用、この4種類だけだ。
これを作るのも雑務員の仕事である。
これらの服は、形はすべて同じで無地一色、違うのは、色が違うだけなのだ。
僕たちは黄色、雑務員は白、特殊作業員は赤、養人場は青と決まっていた。
僕は、エサを運んでくれる雑務員に手真似で三人分持って来てくれるよう頼んだ。
雑務員は、反抗しない限りは、
比較的に自由に動けるという話をおじさんから聞いていたのだ。
それに、僕などは、檻で生まれ檻で育っているので、何も知らないが、
雑務員やホームレスは、虐待されているという人間としての共通意識として、
牛や豚には宿命的憎しみを持っている。
したがって、同胞が不利になるようなこと、
つまりは牛や豚に密告して、自分だけがいい思いをすることはあり得ないそうだ。
僕が頼んだ雑務員は、僕たちが脱出することを理解しただろうが、そのことには触れず、
三人分の服を近いうちに持って来てくれると手真似で伝えてくれた。
服の製造工場は、当然、牛や豚が管理しているけれど、
三着や四着が増えようが、減ろうが、そういう細かい管理までしていないので、
三着くらい抜いたところで分からないそうだ。
これで、脱出の下準備は出来た。
檻の鍵は、普段は一応はかかっているが、エサやりや清掃のときは、開けっ放しである。
ここで、生まれ、ここで育った者は、隙を見て逃げるという意識が元々ないのだ。
行くべきところを知らないから。
僕だって、隣におじさんが来て、おじさんと話すようにならなかったら、
一生を、ここで終わるはずだったのだ。
なにしろ、牛や豚に”飼われている”という意識がなかったのだから。
エサやりや、清掃中、鍵が開いていることは、牛園長も承知していること、
したがって、僕たちが逃げたって、同胞の雑務員が処罰を受ける恐れはない。
さあ、雑務員用の白色の服が届くのを待つだけだ。
あとは、おじさんの土地勘を信用して、あとを着いていくだけだ。