「ある特定の成果を達成するためにはバランスが大事です。最近アリストテレスの「ニコマコス倫理学」を読んだのですが、「そこには中庸こそがすべての徳において最高である」と書いてあります。私はあらゆるレベルにおいて中心点を探そうとしています。早すぎても遅すぎてもだめで、うるさすぎても聞こえなくてもだめ。もちろんピアニッシモがだめというわけではない。しかし、すべては「中心点」を通ってゆくべきもの」 ーキリル・ペトレンコー

 

2017年3月23日のペトレンコが就任すぐのDCHでのインタビューを抜粋してみた。ペトレンコを2回聞き、興味がつきなくなり、DCHの日本語字幕付きのインタビューでたまたま発言していたのを見つけた。しかし、今回の2回を演奏して感想の核心をついており目からウロコだった。音楽における中心点。自分の感じた、ディオニソス的であり、アポロン的(対立的な芸術概念がひとつに統合されている)であるという感想は、まさに彼の狙いが実現されている。2017年で初めてベルリン・フィルに就任が決まったときのコンサートから着実にお互いが理解しあっているのだろう。

 

さて、初めてのAプログラム。モーツァルト、ベルク、ブラームス。ベルクというなかなか演奏されないプログラムを入れてくれるのが本当にうれしい。インタビューにもあるように、ベルクをアジア公演に持ってくるのはかなり勇気が必要だったようだ。

 

 

 

 

さて、実際の演奏はAプログラムでもやはり素晴らしい演奏だった。モーツァルト交響曲29番は古楽的なアプローチがもてはやされた時期が長いが、今回の演奏はその古楽的でありながらロマン的という新たなアプローチを感じさせてくれた。そして、オーケストラからオペラを感じる物語性。モーツァルトが笑いながら、客を驚かせようとする様子が音楽に現れている。モーツァルトの楽譜はあまり書き込みがないのでペトレンコ自身の解釈によるものが大きいのかもしれない。モーツァルトの交響曲はオペラに比べて好きではないのだが、やはり面白いものであることを再認識。しかし、ベルリン・フィルの音色は本当に美しい。ちなみに、座席がサントリーホールのLAだったので、ペトレンコの指揮ぶりを初めて近くでみれた。とにかくチャーミング。全身で音楽を表現している。演奏しているとのせられてしまうのだろう。

 

2曲めはベルクの「オーケストラのための3つの小品」。20分ぐらいの短い曲。大編成でステージを団員で埋める。初めて生で聴いたが、ベルリン・フィルの音色で暗闇の世界から暴力的な音楽が表現された超名演。マーラーやシェーンベルクの影響、加えてヴォツェックを先取りしたような音楽で、世界に完全に引き込まれた。バイオリンなど本当に美しい旋律が。今日は樫本さんは1プルの裏。しかし、初めて女性でベルリン・フィルのコンサートミストレスに就任したヴィネタ・サレイカ・フォルクナーさんの演奏が見事だった。打楽器も色々と大変そうだった。ティンパニ2台、チェレスタなども。響きが色々と面白い。ベルクとかももっと聴かないといけないなと感じた。

 

最後は、ブラームス4番。これがまた驚愕だった。ブラームス4番といえば、手垢が付き、過去の名演も多数ある。現代演奏ではカルロス・クライバーを頂点だと思っていたが、克服できたかもしれない。1楽章冒頭は思った以上に弱音で開始したが、曲が進むに連れて変幻自在のブラームス。ベルクより編成が小さいのに弦楽器の厚みが凄まじい。ペトレンコの手綱さばきも絶妙。全体把握する力、バランス感をもちながら情熱的という稀有なバランスがこの曲でも発揮。3楽章後半でひつとの山場を作りつつ、4楽章でまた抑制し、最後にまた頂点を作るなど本当に感動した。

 

SNSで卒業するとつぶやく人も多いが、たしかにうなずける。オーケストラという芸術における完成系ではないかと思わせる演奏。フルトヴェングラーとは作りは違うが、実は似ているのかもしれないと思った。

 

同世代であり、まだベルリン、ペトレンコの旅は始まったばかり。これから円熟するとどうなるのだろうか。そんなことを考えた。日本でも今回の来日で知れ渡ったので、次回以降はチケット争奪か。ベルリン。ペトレンコとティーレマンがいる街。久しぶりにベルリンに行きたくなった。

 

ちなみに、天皇陛下ご来場。ちょうど対角線の席でした。微動だにされず鑑賞されるお姿を目に焼き付けました。上皇は何度かあるが今上天皇は初めてかも。皇太子時代ならあっあような

 

 

入場時の荷物チェック。

 

座席はこのあたり。

 

始まる前にペトレンコ登場。指揮台チェック