ウィーン・フィルとベルリン・フィルの来日と丸かぶりだった新国立劇場のシモン・ボッカネグラ。なかなか上演されないので行きたかったが、あきらめていた。しかし、ウィーン・フィルは、メストが降板になり、チケットを返金。代わりにシモン・ボッカネグラのチケットを購入。なんとか聴くことができた。

 

シモン・ボッカネグラのオペラトークも鑑賞して事前予習。ヴェルディの古い版と現在の版の違いが面白い。現在の版ではワーグナーを意識したような音楽劇となっていた。それにはボーイトの影響が大きい。その後、2人はオテロ、ファルスタッフという傑作を作る。ちなみに前奏曲はドビュッシーのように海を表現する音楽とのこと。物語は1幕と2幕で25年の年月が離れている。演出の難しいところ。他にも当時の政治対立の状況、その中でのシモンの立場などわかりやすく大野さんと演出家が意図を解説。小林厚子さんの歌唱など盛りだくさんでかなり楽しめた。当日の様子はYoutubeにあがっている。

 

 

 

当日の本公演は、ウィーン・フィルをあきらめた甲斐があった素晴らしい公演だった。歌手、指揮、演出、舞台が揃うという稀有なプロダクション。

 

物語は唐突なところが多い。しかし、その人物像と音楽にやはり惹きつけられる。シモンは愛する妻と離れ、子供も失う。その失意の中で総督につく。失踪した娘と再会するも、やりたくもない総督を続け、当時の政争に巻き込まれ、戦争反対を唱えながら、毒をもられ死ぬ。妻・子への愛、政治劇、平和への願い、暗殺、後継者。様々なドラマの要素を盛り込んだ重厚なオペラである。

 

特に印象的だったのはやはり、フロンターリのシモン。シモンの悲哀を余すことなく表現。2箇所ほど特に感動させられた。1つめは、シモンが毒をもられ、娘が帰ってきたのに、意識が遠のくところ。2つ目はシモンの最期。迫真の演技、歌唱。とにかくその表現力が素晴らしく、シモンの死に際に同席したかのよう。あんなピアニッシモで歌いながら、死に際の呼吸から苦しさが伝わってくる。

加えて、テノール、ソプラノも素晴らしく、歌手陣が本当に素晴らしかった。

 

そして、大野さんの指揮とオケが見事。ヴェルディというと脳天気な音作りする人が多い。しかし、この日の大野さんはムーティを聴いているようだった。フロンターリのシモンの表現にぴったりと息を合わせ、死に際の見事なピアニッシモ。ヴェルディのドラマ性を完全に引き出しており、作品の素晴らしさを気づかせてくれた。

 

演出はイタリア物に珍しく抽象的なもの。ヴィーラントワーグナーのような印象。黒と赤の舞台。火山が印象的。脚本に問題ある作品だが、抽象的にすることで場面転換などの問題を解決したように思う。そして、赤は様々な連想をさせる。血、火山、ジェノバ国旗。暗闇の中からマグマが吹き出しているような場面が多い。舞台美術は現代美術家のカプーア。この作品の時代背景や精神性を考慮した、きれいな舞台に仕上がっていた。最後に黒い太陽が登るのも印象的。

 

アフタートークも参加。もう一度ぐらい見てみたかったが、ベルリン・フィルに3回行ってしまったので、あきらめ。