久しぶりに自分のブログに戻って、最初から読み返しました。

翻訳の勉強をはじめたのが2018年の秋。

ひょんなことから翻訳者を志し、青山のフェロー翻訳学校(現在は半蔵門に移転)に通学し始めました。

それから幾つかのステップを経て、社内翻訳者として三年間仕事をしてきました。

来週で、いよいよ私の社内翻訳者としての仕事にひとつの区切りがつきます。

 

どうすれば翻訳者になれるのか、さまよい悩みながら勉強を続けていたあの頃。

翻訳者になるにはしっかりと翻訳学校で学ぶことが必要だと思い、仕事を辞めたことが二回。

一回目は、フェロー翻訳学校へ通学。

二回目は、まさかのパンデミックで学校が閉鎖。

 

当時、学校に通う気満々だった私は呆然となり、自律神経が乱れたっけ。大変な時期だったな。

それでもなんとか気持ちを取り戻し、半年ほど、受験生のごとく英語と翻訳の勉強をしまくった。

思えば、あれが功を奏したのかも知れません。

 

石の上にも三年という言葉がありますが、私にとってこの三年間は修行のような、

とてもありがたい期間でした。もうすっかりやり切った気持ちです、感謝です。

 

最近、プライベートで自分の人生を見つめ直す大きな出来事がありました。

とても悲しいできごとでした。

少しずつ受け入れられるようになりましたが、ふとした時にまだ泣くし、胸も痛いし、悲しい。

我慢はしないことにする。泣くよ、涙が出たら。がまんせずに、垂れ流します。

 

人生には必ず終わりが来る、そして時間が有限であることを考えました。

だから、もっと自分の気持ちに寄りそって、もう少しわがままに生きてみようと思いました。

このブログは元々、翻訳のブログではなく、創作を綴るためのブログでした。

翻訳者になることもとても難しく大きなチャレンジではありましたが、物書きになることは

もっと大きなチャレンジであると思っています。

ただ、私は心のどこかでたぶん夢のまま終わると思っている自分がいるのでしょう。

長年ダラダラと創作を続けているだけで、翻訳に向けたような情熱が創作に対して足りていないと

思います。それは、きっと生活に直結していないという部分が大きいのでしょう。

 

いつも、片手間で創作してました。この三年間も、ちょこちょこと公募に出したり、

創作教室にも通いました。でも課題の作品も公募に出す作品も、いつも片手間だった。

在宅ワークをいいことに、夜中まで起きていられるからってスキマ時間で創作してた。

 

でもそんなんじゃ、いい作品なんて書けない。

選ばれる作品を書けるはずがない。

勉強じゃないんだから、眠い目をこすって書くようなものではない。

もっと貪欲にいろんなものを見て、読んで、感じて、知らなきゃだめだってわかった。

そのために私には時間が必要だと思った。片手間じゃない本当に時間が。

 

残された私の時間、あとどれくらいあるのだろう。

早かれ遅かれ、いつか来るんだ、そのときは。

一番なりたかった人になるために、いちばんやりたかった仕事を手に入れるために

その時間をじっくりと過ごすことにした。

 

私には目標としてる人がいる。ある絵本教室で出会った人。

私より少し若いその人は、運に恵まれているのか、才能があるのか、戦略がうまいのかわからない。

でも彼女は、わずか三年でデビューし、今や10万部のヒット作を出している。

片手間で、彼女のことを追ってた。追いつけるわけないね、片手間だもの。

だから、全力投球で追いかけることにした。

いつ追いつくのか。いつかは追いつくのか。そして、いずれ追いこせるのか。

まずは、必死に食らいつくところから始めよう。

 

このブログは、今日で卒業します。

いつか作家になったときの備忘録のために残しておきます。