メガネ氏と大阪でラーメン行脚してきた。
その際寄った景清スポッティングと万博スポッティングを先にご紹介します。
大阪市東淀川区にある「大阪経済大学70周年記念会館」の塀に、ここが三宝寺跡伝承地であることを記すパネルがあります。
「三宝寺」は、達磨宗の開祖、大日房能忍(だいにちぼうのうにん)が12世紀末頃に創建した寺院。
全盛期には一千人もの僧侶がいて、広大な伽藍、一説には今の東淀川区を覆うくらいの広さを有していたとか。
その後、「三宝寺」は周辺が戦場になったため廃絶してしまったそうです。
能忍は明確な記録が少なく、出自も含めてナゾが多いそうですよ。
一説には落語などの古典芸能の演目にもなってる景清(藤原景清)の叔父にあたり、壇ノ浦の戦いに敗れた景清を匿いますが、能忍が下人に「(景清の好きな)そばを打て」と命じたのを「「首を討て」と景清が聞き間違えて斬られてしまいます。
東淀川区には景清が血の付いた刀を洗った池があったといわれる場所(小松公園)が、神崎川を渡った吹田市には景清が夜な夜な泪を流したといわれる場所(泪之池遊園)があります。
「三宝寺」が東淀川区を覆うくらいの広さということは、境内にあった池で刀を洗い、神崎川を渡ったとこにある池で泣いたに間違いないな!
今、歴史の闇のひとつに光が差しました!
ちなみに~!その時代にはまだ打ち蕎麦はなく、能忍の死因も病死または事故死とする説が有力だそうです~
三宝寺跡伝承地から上新庄駅方面に徒歩数分。
新幹線の高架をくぐった先にある「瑞光寺」へ。
吉本新喜劇の島田珠代さんは、子供の頃ここで遊んでいたとかいないとか。
こちらのお寺には、日本でここだけ!おそらく世界でもここだけ!というクジラの骨で出来た橋「雪鯨橋(せつげいきょう)」、通称「くじら橋」があります。
1754年(宝暦4年)、「瑞光寺」の潭住(たんじゅう)禅師が南紀太地浦(現在の和歌山県太地町)に行脚した際、不漁に泣く漁師から豊漁祈願を依頼され、一度は断ったものの祈願に応じたところ、豊漁となったことから、お礼として黄金30両とクジラの骨18本が贈られたので、そのクジラの骨で橋をつくったんだそう。
当初は橋の全てがクジラの骨で造られていたそうですが、1780年代に橋板は石造になったそうです。
手すりは下アゴ骨、扇形の部分は肩甲骨、支柱は脊髄だそうですよ。
現在かかっているのは2006年(平成18年)に架け替えられた6代目。
2004年に北海道沖の調査捕鯨で捕獲されたイワシクジラと、2005年に南極海で捕獲されたクロミンククジラの骨だそうです。
これらは5台目の橋に使われていた骨。
これまで約50年くらいで架け替えが行われているそうです。
ちなみに~!太平洋戦争で焼失した後の約29年間は橋はありませんでした。
こちらの山門?!もクジラの骨(下アゴ骨)
国道479号をひたすらまっすぐ南へ。
「平野区役所」へやってまいりました。
ここに、大阪・関西万博スペシャルラッピングポスト(第1号)があります。
このポストは「大阪・関西万博」開催600日前の令和5年8月22日に、全国でも初めて設置されたとのことです。
街で見かけた面白いポストを、コツコツとグーグルマップに落としていってまんねん。