国道2号線、湊町一丁目交差点を東に入ったとこ。兵庫区東出町三丁目にある、ビリケン像が祀られていることで有名な松尾稲荷神社

 

一願成就の碑

碑に埋め込まれた赤いガラスが目のように見える事から一眼(いちがん)=一願さんと呼ばれるようになったそうです。

 

平成のビリケン様

このビリケン様は元々北野坂にあったそうです。

 

 

建物内部は提灯がいっぱ~~い!

 

この建物の左奥にありました!神戸のビリケンさん

このビリケンさんは、大正時代、元町にあった洋食店の店主が、米国の水兵が持ち込んだビリケンさんを参考に制作し、店頭に置いていたものだそうです。

 

で、後で知ったことですが、割と近くにもう1体、ビリケンさんがあるみたいです。

そちらにも近々伺いたいと思います。

 

ここはッ!

以前、ボスがホルモン焼き食べたい言うて探してた時に見つけたネットの記事に出てきた商店街やんけー!

▼じゃりン子チエに出てくるホルモン焼きを探す旅
https://dailyportalz.jp/kiji/170327199137(デイリーポータルZ)
 

松尾稲荷神社の目の前の駐車場というか、空き地というか、の片隅に立つ柱。

 

サカヱ薬局跡地(ダイエー発祥の地)

ここがダイエーの創業者、中内功氏の実家があった場所で、父の秀雄氏が「サカヱ薬局」を開業していたそうです。
「サカエ薬局」の名は、中内功氏の祖父、栄氏が由来であり、「ダイエー」の名は、「栄」に「大」を付けて「大栄」→「ダイエー」となったそうです。
そーゆーことから、「ダイエー」1号店がかつてあった千林ではなく、ここが「ダイエー発祥の地」と言われているようです。

 

ちなみに~!
ここにあった「サカヱ薬局」は, 中内功氏が創設した流通科学大学に復元・保存されているそうです。

 

ここからハーバーランド方面へ5分ほど歩いた湊小学校のはす向かいに「横溝正史生誕の地」碑があります。

 

この変わったデザインは、説明文によると"複雑に絡み合った難事件が名探偵により、見事に解決されていく横溝文学にイメージを得た"そうです。

 

実際の生誕地は、この碑から東へ100メートルほど離れた、現在は川崎重工神戸工場の敷地内になるみたいです。

ここに横溝正史の両親は、岡山から駆け落ちしてやってきたのです。

 

正面の建物の向こう側あたりでしょうか。

 

で、松尾稲荷神社に向かう時入ってきた道沿いに、横溝正史が4歳の頃引っ越しして薬屋を開業します。
その薬屋があった場所は、現在畳屋さんになってます。

当時、東川崎町の川崎造船所には数万人の工員さんがいて、朝と夕に溢れんばかりの人波が薬屋の前を通っていくそうです。
当時は新開地が最も栄えた頃であり、夜の新開地には、毎晩歩くのも困難なほどの人が押し寄せていたそうです。

 

ところで、旧湊川は、いわゆる~ひとつの~天井川で、なんと!山陽本線は湊川の下をトンネルで通していたそうですよ!
横溝正史のはなしを読んでると、湊川を埋め立てて道ができたようで、山陽本線を跨ぐように新開地へ続く道があったというようなことが書かれてました。
薬屋の前のこの道を辿っていくと、新開地本通、新開地商店街と一本で繋がってますね!

この道が旧湊川だということがよくわかります。