時々、私のブログには宗教、特にキリスト教のことが出てくる。
父の実家は神社だった。けれど父が神様に助けを求めようというようなことはなかった。
むしろ、母の勤務先がプロテスタントのミッションスクールだったことで、母に依頼されたのか牧師先生はよく来ていた。
私の通っていた高校のシスターたちも時々来た。もちろん彼らの目的は私を立ち直らせること。
結論から言うと、彼らに私を救うことはできなかった。
ある日、突然来て、ありがたいお言葉を頂いても、それは私の心には全く響かなかった。
それに、私はキリスト教や神社というのは、元気な人のためにあるのではないかと思う。
そもそも、
教会なり神社に自分から足を運ぶことができて
尚且つ、献金する財力があり
聖書を読んだり、祈りを捧げたりする気力・体力がある人たち
そこがメインターゲットであって、
外に出れず
人に会えず
収入もなく
聖書を読む元気もなく
1時間以上続く礼拝に座っていられない人たち
っていうのはさすがの牧師先生もシスターたちも救えなかった。
聖書もずいぶん読んだ。(ひきこもり中は暇だったので)
けれど、救いはなかった。
聖書にはこう書いてある。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」
-イザヤ書
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
-マタイによる福音書
これらを読んでも私は愛されている実感などなかったし、負っている重荷を下ろせた感覚はなかった。もちろん休めなかった。
子どもにとって神様がいるとすれば、母親だと思う。
奇跡を起こせるとすれば母親だと思う。
母親の一言で子どもは天国にも地獄にも行ける。
何も言う必要はない、ただ抱きしめてあげるだけで奇跡は起きる。
ただ、私は最後まで母からの愛情はもらえなかった。
でも、バカみたいに私を愛してくれた人がいて私は息を吹き返した。
私の神様は、最近ビール腹で禿げてきて、おまけにイビキがひどくて困っている。
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