第一志望にご縁をいただいたけれど…

 

 

*このブログ初めての方はこちら(書いている人の自己紹介など)

*販売している資料不登校対応の基本FAQ『第10章 昼夜逆転について(親の会アンケートと支援から見えた新しい視点)』を加筆しました。

目次/なぜ昼夜逆転が起こるのか?・不登校期別に見る昼夜逆転の特徴・ 小学生の昼夜逆転・親のサポートの基本方針・(1)混乱期は「睡眠より心の安定」・(2)親の心構えとNG対応・私自身の経験・眠剤について・1. よく名前が挙がる処方薬・漢方・2. 効果の実感とタイミング・3. 結論

 

 

 

毎日本当に寒いですね。

1月末から2月にかけては、寒気の影響で例年調子を崩してしまうお子さんが増える時期です。同時に、親御さん自身の気持ちも落ち込みやすくなります。私のところも、相談がぐっと増える季節です。この時期に「現状維持」ができているなら、それはかなり調子がいい状態だと言っていいと思います。健康な大人にとってさえしんどいこの気候は、不登校の子どもたちにはそのまま2倍、3倍の負担として響きます。これは梅雨時期や低気圧でも同じ現象になります。覚えておくと不登校の子と一緒に過ごす上でわかりやすい指標になります。
唯一の例外は、あの真夏の酷暑ですね(笑)。夏休みの開放感が、気候のつらさを吹き飛ばしてくれるようです。

 

 

 

第一志望は本当に関係ない

 受験期に不登校を経験した子どもたちを長く見てきて、私は一つの確信を持つようになりました。その後の経過が良かったかどうかは、第一志望に合格したかどうかとは、ほとんど関係がありません。関係があるのは、心身がある程度回復していたか、そして「縁があった進路」を自分の物語として引き受けられたか、逆に「縁がなかったこと」を敗北や挫折ではなく、事実として扱えたか、この二点です。肩書きそのものよりも、その意味づけと生活の土台の方が、はるかに強く人生を方向づけます。

 

 第一志望は本来、進路の選択肢の一つにすぎません。しかし不登校を経験した家庭では、第一志望が「回復の証明」になりやすい。合格すればすべてが帳消しになり、失敗すればすべてが否定される。そうした極端な意味を背負わされることで、進路は現実的な選択ではなく、人生をかけた心理的な賭けへと変わっていきます。

 

受験という制度が生む錯覚

 受験という制度は、「正しく努力すれば、正しい結果が得られる」という構造で設計されています。そのため親も、「努力を積み上げれば、回復と結果は比例する」と考えやすくなります。また、不登校からの受験という制度の中では、「志望校に合格することが、その子の回復を後押しする」という考え方が、ごく自然なものとして受け取られています。合格すれば自信がつき、元気になり、人生が動き出す。そうした物語は、とても分かりやすく、希望にも見えます。

 

 しかし、不登校からの回復は、合格という結果によって起こるものではありません。回復とは、穏やかな家庭生活が送れているか、家庭の緊張が下がっているか、自分を責める気持ちが和らいでいるか、人との関わりに対する怖さが少しずつ減っていくこと、そうした生活と心の土台が整った結果として、静かに起こる変化です。

 

 ところが受験期になると、この順序が逆転します。「合格すれば回復する」という期待のもとで、回復そのものが受験の手段になってしまうのです。本来は回復が先にあり、その延長として進路が決まるはずなのに、進路が回復を生み出すかのように扱われてしまう。この誤解が、子どもを知らないうちに追い込んでいきます。

 

成功物語の落とし穴

 不登校を経験しながらも、のちに高い学歴や社会的評価を得る子どもたちは確かに存在します。難関大学、医学部、スポーツや芸術での成功、メディアに取り上げられた例。それらは希望として語られることがあります。しかし、ここには大きな飛躍があります。存在することと、再現できることは別です。

 成功例には必ず偶然が混ざっています。出会い、タイミング、身体の回復、家庭の空気、本人の気質、環境との相性。これらは再現できません。それにもかかわらず、成功の物語だけが切り取られ、「こうすればうまくいく」というモデルに変換されると、子どもに渡されるのは希望ではなく、「できないのは努力が足りない」という構造です。成功例は希望にはなりますが、基準にはなりません。大谷翔平が存在することと、誰もが同じ道を歩めることは、まったく別の話なのです。

 

夢が子どもを追い詰めるとき

 不登校の子どもたちが口にする言葉の中で、私はいつも胸が痛くなるものがあります。「見返してやりたい」「今の状況は恥ずかしい」。そして目標が、「楽しく生きること」ではなく、他人の目を意識しすぎた「受験に勝つこと」へとすり替わっていく瞬間です。

「合格しないとやばい」

そこには、未来への希望というより、今の自分を否定する強い力が働いています。

 

 健康になり始めた不登校の子どもたちが、まるで示し合わせたかのように学歴を取り戻しに向かう光景を、私は何度も見てきました。そして正直に言えば、その姿は私にはとてもつらく映ります。

 それは、かつての自分自身の姿でもあるからです。私は夜間大学を選び、しかも卒業証書に「夜間」と記されない大学を、わざわざ選びました。社会からどう見られるか、自分がどの位置にいるのか、それを消したかったのだと思います。だからこそ分かるのです。学歴を求めるその衝動は、未来への希望というより、「今の自分では足りない」という痛みから生まれていることが多いということを。

 

回復していないまま夢を背負わされる子どもたち

 私が最も心配しているのは、夢を語ることはできるのに、目標に向かって努力する力がまだ十分に回復していない子どもたちです。本当は休むことこそが必要な段階なのに、心も体も整っていない段階なのに、「将来はどうするの?」「高校は?」「受験は?」と問い続けられ、考え続ける時間だけが無限に与えられていきます。

 

 不登校になったばかりで、明日の朝をどう迎えるかも分からない子どもに、2年後3年後の受験の話をさせる。その時、どれほど回復しているかも分からない。入試制度がどう変わっているかも分からない。それでも親は、自分が安心するために問い続けます。

 

 そして子どもは、ゲームと将来への不安を行き来しながら、長い長い時間を「受験のことを思い悩む」ことだけに費やしていくのです。努力はできない。けれど、夢は語らされる。動けないのに、前向きなふりをさせられる。そうして時間切れのように、夢が破れていく。その後の経過があまり良くならないケースを、私は何度も見てきました。

 

 まだ踏み出せるほど回復していないにもかかわらず、「夢に向かって進んでいる自分」を背負わされることは、子どもの心にとって、あまりにも重い荷物です。回復していないまま夢を追うことは、前向きに見えて、実際にはとても消耗する道でもあります。だからこそ、この状態を「頑張りが足りない」「失敗した」と深刻に意味づけすぎないでほしいと思います。問題は意欲ではありません。

問題は、順序です。

夢の前に、回復。

進路の前に、安心。

目標の前に、生きる力。

今はまず、夢よりも回復そのものを大切にする時期なのです。

 

元気の前借りをした子どもたち

 逆に、第一志望に合格したにもかかわらず、かえって苦しくなってしまう子どもたちもいます。彼らは、合格すれば幸せが待っていると信じて、自分の元気を前借りするようにして走り切った子どもたちです。学歴という価値を取り戻したはずなのに、気持ちは晴れない。達成したはずなのに、安心できない。そうした状態に陥る子も、決して少なくありません。

それは失敗ではありません。本来の回復が、まだ十分に行われていなかっただけのことです。安心して休むこと、今の自分を肯定すること、生活を立て直すこと、そうした土台を飛ばして結果だけを先に手に入れたために、心が追いついてこなかったのです。合格は回復の証明にはなりません。回復が伴わない成功は、しばしば新しい不安を生み出します

 

 整形を繰り返す人がいるように、外側を変えることで苦しさを解消しようとする試みは少なくありません。しかし、今の自分を肯定できないままでは、どれほど学歴で姿を変えても、苦しさは終わらないのです

 

回復と比較は相性が悪い

 受験は比較の制度です。偏差値、判定、順位、合否。比較にさらされると、回復の基準は「生きられるかどうか」から「勝てるかどうか」にすり替わります。比較は焦りを生み、焦りは睡眠を乱し、睡眠の乱れは情緒を乱し、家庭の空気を硬くします。こうして勉強は、未来の準備ではなく、不安を打ち消すための行為になります。

 

 回復期の勉強は、しばしば鎮静剤のように使われます。不安だから勉強する。周囲との差が怖いから机に向かう。しかし鎮静剤としての勉強は、効き目が切れると反動が来ます。突然落ちる、突然荒れる、突然「何も意味がない」と感じる。これは珍しいことではありません。比較と回復は、根本的に相性が悪いのです。

 

第一志望を神にしない

 第一志望を目指すこと自体は否定されるものではありません。問題は、それが「回復の証明」や「その子の価値の回復」になってしまうことです。受験は、子どもの価値を決める場ではありません。受験は縁の場です。縁があったところに行き、縁がなかったところは縁がなかったと扱う。ものすごくわかりやすいです。そして受験に向かえなかった子達、まだその時じゃありません。もう1年、楽しいことをして回復を図ってください。

 

 縁があった場所で、静かに生活を組み立て直していけるように、土台を守ることです。第一志望を大切にしながら、第一志望を偶像にしない。その距離感こそが、回復と受験を両立させる現実的な道なのだと、私は考えています。

 

 

 元気でいること、それだけで十分です。
 不登校だったあなたも、あなたです。

 回復はあなたが努力しなくても勝手に進みます。

 ですから、高校生になったら、大学生になったら、ではなく、どうか今日を生きてください。今日を楽しんでください。

 未来のために、今日を差し出さないでください。
 今日という一日は、人生の仮のページではありません。
 

 

**

 

 

資料はnoteで販売しています。

各ページに目次が載っていますので参考になさってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全て、相談者さんたちから一番よくご相談のあった「我が子が何期なのか?」が簡易に判断できるように、↓このような簡易判断フローチャートが付録としてついています。