特攻平和観音(世田谷山観音寺)② | tantanlovejapanが伝えたい話

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ナイトウォーキング、夜景、神社仏閣が好きなプロカメラマン「タンタン」です。

特攻平和観音(世田谷山観音寺)②

①で書き忘れました😅
仁王門の天井には鳴龍が有りました



手を叩いみると、何とも言えない響き

日光東照宮で有名な鳴龍ですが、衝撃性短音が往復反射して出る現象をフラッターエコーと言います


仁王門をくぐると右手に線香の無人販売所
線香のお布施は100円

私は

 



隣には着火装置もありました

水色を購入

 



その奥に寺務所が有り
ちょど私の前にお参りをなさった方と執事さんがお話をしていました

先客が帰り執事さんと暫くお話をさせていただきました。

写真家であり靖国神社の近くに住み
伯父二人が靖国に祀られていること
時間がある限り参拝し、靖国神社の探究をしていること
その中で、特攻隊戦没者慰霊顕彰会を知り
そこから特攻平和観音に辿り着いたこと
私の記憶や知り得たことをXに投稿していること
を伝えました。

執事の方はとても気さくな方で
「では、いまお堂を開けましょう」
と特攻観音堂まで連れて行ってくださり
「どうぞ写真を撮り、一人でも多くの方に伝えてください」
と仰ってくださいました。

 

前後しますが、桜の時期の特攻観音堂

 









開けて頂いた特攻観音堂の全景です。

 


左から石碑、常香炉、石碑と並んでいます。

お布施をして常香炉にお線香を供えました。
先客の方の線香が残っていました。

 



「世界平和の礎」の石碑です。

 

 

昭和39年10月吉日
吉田茂 謹書



「特別攻撃隊の頌」の石碑です。



「わが国が存亡をかけた大東亜戦争においては、開戦当初から生還を期すことのない特攻作戦が決行された。


 弱冠十七、八歳から三十歳代までの勇士が、肉親への愛着を断ち切り洋々たるべき人生を捨てて、空に、海に、陸に、決然として肉弾攻撃を敢行し、偉大なる戦果を挙げ、ことごとく散華された。その数およそ六千柱。壮烈無比なこの攻撃は敵の心胆を寒からしめ、国民はひとしくその純忠に感泣した。
 

 特別攻撃隊の戦闘は、真に至高至純の愛国心の発露として国民の胸奥に生き続け、また世界の人人に強い感銘を与え、わが国永遠の平和と発展の礎となっている。


 ここに心から愛惜の情をこめて特別攻撃隊の諸資料を、この遊就館に納め、その精神と偉業とを後世に伝える。
昭和六十年十二月八日 特別攻撃隊慰霊顕彰会
会長 竹田恒徳」

と書かれていました。

次は特攻観音堂の内部の写真です
③に続きます。