NO.6 いのりちゃんへの手紙

からのつづき。。。


そういえば、兄のことを私はあまりよく知らない。


母親が生きていると聞かされてから、

密かに母親を探す計画をしていて

どこの役所かまでは忘れてしまったが、手紙を書き兄までたどり着いている。


当時は、個人情報保護法なかったから、たどり着いたのだろうか、、


兄への手紙がきっかけで、

高校生の私は、兄と青森に住む母親に会うことができた。


兄は祖父母の養子として、6人兄妹の4男として育っているが、周りの兄妹も秘密を守っていたに違いない。


姉として慕っていた人が実は母親と知ってからの兄は、高校へはいかずプロダクションに入っても続かず六本木をうろついて遊んでいたという。


初めて会った時、キラキラとして明朗な印象があったのは、やはり兄妹にとても愛されて、祖父母に特別に愛されたからだろうと今思う。

その反面、甘やかされたのだろう、


働いたという話しをあまり聞いたことがなかった。

東京の家族の家を家出した私が、母親の実家の祖父母を頼って行ったとき、

兄はそこにいなかった。


発病し、また私は青森の母親のところへ行くまでの1年ほどお世話になっているが、

その時も兄はそこにいなかった。


整理すると、

刑務所に入っていたということだ。


今現在で6回目の刑期だったかと思う。


はじまりは、下着泥棒。

これは、私が青森に来て、しばらくしてから母親から聞かされた。

このことは誰にも言えないと思った。


その頃の兄は、女の子など不自由しないような容姿でモテたのだろうし彼女もいたのだ、

あのキラキラした兄からは想像もつかなかったし

兄にも闇があることを知るが、

1度で終わらなかったそうだ。


2度、3度と繰り返し

お金を盗むようにもなっていった。

最後は、婦女暴行だった。


不法侵入婦女暴行


見知らぬ女性の自宅に侵入し、暴行をした。

それも子どものいる前での事だったので

聞いた時に背筋が凍るようにショックだったことを思い出す。


ただただ、殺める様なことがなくて良かったと、当時は複雑な思いでいっぱいになっていた。


青森へ東京の叔父から連絡がきた。

複雑だが、兄にとっては、お兄さんと呼ぶ人でも

私にとっては叔父だった。


その叔父から、兄とは縁を切るように言われた。

自分たちも関わりのないように法的手段を取るとのことだった。


偶然にも兄は青森刑務所へいたのだ、

1度は面会にと思っていた。

罪を憎んだが、兄もかわいそうなのだと思っていたからだ。


保護観察官は、更生できるとは思えないと言ったそうだ。


あいつは悪人になってしまったんだ、もう兄と思うな、絶対に会ってはいけない。

叔父はそう言った。


やはり、青森刑務所を出てからすぐ、また刑事に追われることになった。

私の自宅にも刑事が探しに来た。

同じようなことをしたと思われる。

刑事は詳しくは話さなかった、


また犠牲者を増やしたんだ、、

亡き母親は泣いているだろう。

私が悪いんだと泣いていることだろう。


兄の心を救いたいと、行動をうつすべきか悩んだし

女性に対しての、憎しみが、母親により生まれたのか、カウンセリングはされているのか、いろいろなことを考えた時期もある。


それからのことは叔父からは聞くこともできない。

叔父も亡くなり、私も兄を忘れることにした。


生きていく環境、出逢う人で、人は悪人にも善人にもなれるのか、、

心を悪にかえることは、善でいるより簡単なのか、


時間が経ち薄れていた記憶が蘇った。

母親が亡くなる前に言っていた言葉、


なぜ、その女性を狙って自宅までつけて行き侵入したのかと聞くと、

ひかりに似てたからだって答えたらしいよ。


と聞かされた時、ゾッとした、、。

そういえば、昔、妹だから我慢したと、、、


しばらくして、警察から逮捕されたことを聞いてホッとした。


もう私には、兄はいない。


NO.8  発病 その1

へつづく。。。