午前中に熱が38℃あると気づき

だから体が辛くて苦しいんだと思った。

 

そして眠っていた。

 

 

目覚めと同時に始まる症状がある中で

1番辛い症状とは激しい頭痛。

 

 

膠原病は治らない病気だが

19歳の時に余命宣告・失明宣告をうけた。

 

かなり危険な状態になり、ほぼ失明していた。

奇跡を起こし完治させた。

 

 

34歳の時に乳がんの母の看病で

再発したが、また奇跡を起こし1年半で完治させた。

 

 

45歳で人生3回目の膠原病になっている。

 

※現在、膠原病に余命宣告はありません。

医者から聞いたのは治らない病気だから

いつ死んでもおかしくない。

だから余命宣告は現代なくなったと。

 

 

この激しい頭痛。

19歳の時と全く同じだ。

 

 

19歳の時に膠原病が理由で泣いたのが2回。

 

人生においても膠原病が原因で泣いたのは

この2回のみ。

 

1回目の時はあまりにも今と全く同じ

激しい頭痛がたまらず

医者の友達に家族にばれないようにして電話した。

 

泣く私を医者が職業である友達が

一生懸命、励ましてくれたりした。

 

2回目泣いたのはひとりで泣いた。

なぜかというと

医者の友達には勿論、感謝しかない。

 

しかし私は自分が情けないと思い一人で泣いた。

 

 

この今の激しい頭痛。

19歳の時と全く同じ。

 

当時、この激しい頭痛で結果的に入院もしたが

入院する以前の問題で

 

膠原病が悪化しているサインと

命が危険だというサインだった。

 

 

とっくに膠原病は悪化している。

 

命が危険だというサインを考えると

長くはないといわれているのが心当たりとしてある。

 

ところが長くはないと言っている医者は

外科医であり膠原病と関係のない医者。

 

肝硬変であり多くの病気を沢山抱え

複雑すぎる体であることと

総合的に考えた時の長くはないの意味。

 

 

当時の激しい頭痛は

命が危険だというサインであり

逝きかけたが一命を取り留めた。

 

では今回の激しい頭痛のサインとは。

 

また膠原病で命が危険だとサインしているんだろうか?

 

膠原病内科に通院したばかりだ。

 

血液検査は健康なひとであったら

数値がかなり悪い。

 

ところが膠原病患者として考えた場合

まだ許容範囲だと医者が言った。

 

 

医者とは大型な検査になると

 

「リウマチセーフ!!」といいあったり

 

「肺にたまった水もギリギリセーフ!!」

といいあったり。

 

 

「心臓の数値も膠原病患者としてはセーフ!!」

といいあったり。

 

心臓はかなりの負担がかかっているが

循環器内科で心臓病ではないと言われている。

 

膠原病はいくつもの種類がある。

 

たった今の激しい頭痛。

何のサインなんだろうか。

 

膠原病の中で別の病気にもなっているよの

サインなのか分からない。

 

でも言える事は

この激しい頭痛がかなりよくないこと。

経験上言える。

 

 

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目の関係でコメントが見えず

まだ公開出来ていない方ごめんなさいね。

 

コメ返も遅れたり出来なかったりでごめんなさいね

 

 

みなさんにとって素敵な一日でありますように。

 

 

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