みやごんです
長い間 ”故人を悪く言ってはダメ”と思っていた私。
その私が亡き母に対し「このクソババァ!」
と、クソノートに書き出すまでの流れを連載で書いています。
みやごんのプロフィール
愛知県在住・主婦・50代。非ダイヤ。
夫と子ども2人(高2・中2)と犬と兎と暮らす。
夫はアル中・上の子は不登校→通信制高校へ。
20代の時に不安神経症&引きこもり歴有。
アル中の父と激弱の母。
両親とも他界済み。
昨年ナリ心理学認定アドバイザー7期卒業。
ショック状態を長引かせ煙に巻かれ放題
→心療内科でカウンセリング受診中。
趣味は読書、毛糸のポンポン作り。
この春から麻雀を習い始める。
定期的に会って話す友だちは1人。
今好きな言葉は 金なら出す
(2023年6月時点)
前回までは自分の能力が低いを認めてから
ペン汁(ナリくん命名のクソノート用えんぴつ)で
クソノート再開までを書きました。
”ペン汁”の名称を使いたい人はぜひ使ってね
続き~
クソノートの再開にあたり
私はペン汁でクソノートを書く時の
マイルールを2つ作った。
マイルール
①母親問題(火種)は書かない。
母親以外の問題(煙)に対する
発散目的で書く。
なぜこのマイルール①を作ったかというと……
時計を半年ほど巻き戻して⏱
発達障害(神経発達症)の診断を受けるために
今カウンセリングで通っている心療内科を
初受診した時のこと。
(ショック状態を深堀りしていた時)
私は診療室で精神科医の医師に
「自分は生きづらさを感じて
様々な問題を抱えている。
それは発達障害を持つからなのかを
確かめたい。
それと父親がアル中だった家庭で育っているので
自分の生い立ちも原因があるだろうから、
いずれ過去との向き合いをしていきたい」
という旨を伝えた。
(当時は今より脳内が騒がしかったから
アダルトチルドレンのことを語ったり、
もっとぐだぐだと長ーい言葉で伝えた)
その時、
医師から返ってきたのが
「無理に過去の辛いことを思い出すと定着化することがありますよ」
だった。
その返答にショックを受けた。
自分は
安易に母親問題に取り組むのは危ない。
私はこのことを忘れちゃダメだ、と思った。
辛い記憶の定着化は避けたい。
忘れていた記憶を掘り起こすのを
無理にやるのは
やめようと思った。
マイルール
②自分攻め(責め)を書かない。
もし万が一
また書くようなことがあったら
即刻やめて休憩をとる。
なぜこのマイルール②を作ったかというと……
ナリ心理学認定アドバイザー7期受講中の
後半から始まっちゃったことなんだけど~
私には
クソノート病み歴史があったから。
クソノート病み歴史
自分を攻めて傷つける言葉ばかり書き続け
自己肯定感を
ひたすら下げた時期。
クソノートに
思い出した母からされてイヤだったことを
書き出していく。
それを見ていると
子ども達にも同じような事を
自分がしてきたことを思い出して、
気付くと
自分攻め&子どもへの懺悔の言葉を
並べ立てていた。
○○なことをしてしまった
○○さえもしてやれなかった
昨日だってほら、ひどい声かけをしてしまった
あぁ私の子どもに産まれてきたなんて
なんて不運で可哀そうな子どもたち
私はひどい母親なんだ
どう償えばいいの?
子どもを産んじゃいけなかったのに
ごめんなさい
許してください
誰の得にもならないことを
時間をかけて一生懸命に書いていた
↑
<訂正>
自分攻め(責め)をして
1人だけ得をする人がいた
それは私
自分攻め(責め)をして
悲劇のヒロインなることで
動かないでいられる
( ナリ心理学はこのへん厳しい 💦)
このクソノート病み歴史を
くり返えさないために
クソノートは書くけれど、
母親問題には触れない。
しばらく母親には触れないでおいて
様子を見る。
状況を見て、
少しずつ
いつか母親のことも
書いていければいい。
段階をふんでいこうと思った。
私は能力が低い+ウジウジなんだから
3年くらいで
やっていけばいいんだから
焦らない。
焦らない。
私は2つのマイルールを守って
クソノートを書いていった
学校の先生たちを、夫を、縁切ったママ友を、
その日の買い物で対応の悪かった店員を、
ペン汁でボロクソ書いた
直ぐに溜め込んでしまう私は、
まだまだまだまだ
発散が足りていなかった。
ペン汁でどんどん書いた
ペン汁いいよー
こうして
ペン汁を手にした後の私は
カウンセリングと
ノートとペンで
自分の気持ちの整理をして
クソノートで
日常のストレス発散を続けていった。
続く~
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