12月26日(火)の木村さんとの職員研修(『遅れてゴメン!瀬谷保育園研修報告~最近のたんぽぽ、どうですか!~』)について書こうと思っていたのですが、、、

その翌日参加したたつのこ保育園の木村さんとの職員研修がとても濃かった。濃すぎたんです。
なので、そのことについて書きまーす🎍
(なかなか長文になってしまいました💧)


『選ぶってどういうことだろう?』という3歳児クラスでの事例をもとにした談議をしました。


こんな事例です。書いたのは3歳児担任のなぎりちゃん。
青字は実際の場面に対しての大人の思いなど。


今年度(に限らずここ何年かかと思われます)、3歳児の食事の時間はスプーンと箸を両方出していた。はじめは関心をもって箸を使っていたが、食べやすいスプーンを使う子が多くなっていった。

↑フリーで入った職員から、「(今の時点でも)こどもたちは箸が使えると思う」「年中になるとできるーできないがよくわかるからこそ箸への移行が難しくなるかも」と声をもらっていた。
※下線部について…4歳児期は自分自身を客観的にみる視点が芽生え始めるが、まだまだ0か100の極端な判断になりやすく内面が揺れやすい時期という意味です。
こういう年齢等に応じた発達のことについて、たんぽぽ会では学びを重ねてきていました。

子どもにスプーンを選ぶ理由を聞いてみると
「お家で使ってないから 難しいから」とのこと。

↑失敗したくない気持ちが育ってるし、手応えがないと不安なのかな。
・良かれと思って選べるようにしてきたが、“やってみたいけどできない”という子どもの気持ちに気付けなかった。
・箸で食べる力があるのに(使う)機会を奪っていた気がした。選んだ責任を子どもに任せきりにしていた。

一緒にやってみよう!と関わりながらコツを伝えていくと
「はさめた!」
「できた!」
「もうスプーンいりませんてママに言ってね!」
と、子どもたちが手応えを持ち始めた。

↑とことん付き合うつもりで、丁寧に具体的に関わった。
クラス会議で子どもが選択するというのは大人の見守りあってこそ。任せきりじゃなく最後まで見届けよう、と話し合った。


【感じたこと・相談したいこと】
○箸で食べる力や、やってみたい気持ちがあるのに、スプーンという選択肢があったことで、(使う)機会を奪っていたのかなと感じた。
○箸に誘ったことで食事のムードが変わったわけではない。“楽しい”“おいしい”がまずあって、そのなかで子どもが箸を使っている。大人はそこに丁寧に関わっている。
自分(なぎりちゃん)の中で選ぶって何?どういうことなのかわからなくなり、ドツボにハマってしまった。



          ↑ 談議中 ↑


事例を読み感じたこと&チームふつかよい(わたしたちの談議ペアの名前)でしゃべったこと。
・スプーンか箸か。選択肢はやっぱりある方がいいよなー。 機会を奪う、かー…。
・箸も使えるんじゃない?使ってみたら?そんな提案を大人がしたって良いよね(それがソフトな強制にならない関係性がある前提で)。
・たしかに2歳児~3歳児の間くらいで箸を使えるようになる子が多かったけど、そこにとらわれちゃうと苦しいんだよなー。
・箸が使えないと本当に困るのかな?大人の思い込みなんじゃない?
・むしろ、困ったって良くない?
・大人でも使うのが苦手な人はいるし、箸って本当に使えるようにならなきゃならないもんかねー?
・ワールドワイドで見れば箸なんて使えなくてもダイジョブなんじゃない?
・お茶漬けかっ込むなら箸よりレンゲがいいな。お茶漬けが食べたいな。
…エトセトラ。


正直、最初に事例を読んだ時はなぎりちゃんがそこまで深く悩んでしまった理由がピンときませんでした。
“箸を使わない=興味がない”ではないかもしれない。そこに気付いた。視点が増えたってことで良いんじゃないか?
箸を使い始めてからの食事の雰囲気や関係性も悪くなってないんだよね? ん~…。



と思っていたら、なぎりちゃんの談議ペアだったつりちゃんから事例への補足説明が入りました。

{ フリーで入った職員から、「(今の時点でも)箸が使えると思う」「年中になるとできるーできないがよくわかるからこそ、箸への移行が難しくなるかも」という声をもらっていた }

↑なぎりちゃんと話をしていて、ここの部分がポイントだと分かったそうです。
このフリー職員からの声を受けたなぎりちゃんは年中の育ち…“できるーできない”という揺れが強く出る前に、箸を使えるようにさせてあげないといけないのではないか?
とりかえしのつかない失敗をしてしまっていたのではないか?!
そんなあせりを強く感じたそうです。

それが、“選べたことで(箸を)使う機会・チャンスをうばってしまったのかな”
というような自分自身を責めるような表現に繋がっていたんですね…。すぐ気付けなくてごめん!

補足は続きます。
“小学校で困らないように って字を書かせることはしない” ※注釈1 
そうやってきた自分たちだったのに、“年中になると移行が難しくなるから って年少のうちに箸を使えるようにする”って、おんなじことだよね。

箸に限らず、こういうことってたつのこの中に結構あるんじゃない??というつりちゃんの投げ掛け。

ほぼ全員から“あ~~…(わかる…)!”という声が漏れていました。

○○に向けて ○○の前に…と考えていた自分自身。
そんな風に他の職員から声をかけられた経験 自分が声をかけた経験。
“子どものため”を思って先回り的に何かを身に付けさせようとしてきた経験。
きっとみんなそれぞれ様々思い返すところがあったのだと思います(ワタシもそうです)。

自分たちがずっと抱えてきた矛盾にようやく向き合えた。大事な瞬間でした。


        ↓談議再開↓


↓板書より
・なぜあせる?…子どもには失敗しても良いんだよ、なんていいつつ、おとなが失敗を怖がってない?
・あせり→人的環境による。
・生活をまわす(大人の都合様々)ところ、うまくいかないこともある。
「助けて」「今日はうまくいかない!ごめん!」が言える職員関係がいい。
・子どもたちが“困る”環境を取り払ってるところってあるよね(困るという経験も大事なのに)
・“今年の年長は年長らしくない” “年長なのに○○できないの?”と子どものことを言われることがある。担任として求められてると感じて大変。
・幼保小連絡会でも読み書きを学校側から求められることがあり、あせる。
・発達の学びにとらわれないようにしてきたつもりが、やっぱりとらわれている。
・年中の“ゆれ”も…本当かな?環境や大人がそうさせてるんじゃないかな?
・実際の子どもの姿からワクワクするやり方を考えよう!
・大人も“保育士”じゃない“素”の自分としてやりたいことをやっていこう!


〈木村さんの感想〉
・根っことして、昭和時代からの保育って発達の学びからの影響は強かった。大人から子どもへの“良かれ”という思いが強く出てしまう。
・文字の読み書きに関して…学校側がそれを求めてくることが本来おかしい!
そうはいっても求められる現実がある。そこに合わせなきゃいけない?葛藤もあるだろうけど、たんぽぽ会はそこに迎合せず、世の中を変える側であれ!カットウはカットできない!

・自分はどんな居方で、どんな場所だと心地よくいられる?安心して眠れる?食べ物の好き嫌いもそう。
「子どもがえらべる」という事は、自分の特徴に気づき、うまく付き合えるようになってくということ。自分自身を受け入れる。自分を好きになる機会を得るということ。
それが社会との折り合いの付け方を知ることにもなる。
「子どもがえらべない」という事(例:昼寝は同じ場所で一斉に 給食は決まった場所で 好き嫌いなく食べられるのが良い など大人の思い込みの影響)は、そういう機会の妨げになるよね。
そういう固定観念を捨てて、子どもに任せることで、子どももおとなも解き放たれる。
おとな自身が本当になりたい自分に近づけるという事。人的環境としての大人が変わることで子どもに還るものがある!
子どものためにも、おとな自身のことをもっと考えよう!




○根本の課題は、“たつのこあるある”……。というより“たんぽぽ会あるある”?
いやこれって“保育界あるある”だよね!と思わされる内容でした。そこに斬り込んだっていうのはすごく園として大きいこと。いろんなことをより良いかたちに変えていけそうですね~!
たつのこのこれからの進化がますます楽しみ。
なぎりちゃん、提案ありがとう。お疲れ様でした!



注釈1
たんぽぽ会では、就学に向けて文字を教えたり書かせたりといったことはしていません。
それよりもくらしのなかでの様々な実体験(あそびや人と関わりなど)こそが大事だと考えているからです。
幼保小連絡会などで学校側から“1年生で困らないように、ひらがなで自分の名前は書けるようにしてきてください”なんていわれることもありますが、本来それ(文字の読み書き)は就学後にやることです。

あ、だからといって子どもが文字に触れるのをあえて避けることもしていませんよ!



皆様良いお年を!

ミネ