古典の日朗読コンテスト

 

第15回。2023年のテーマは

 

「かなで綴られた日記文学」です。

 

 

土佐日記(934年)

蜻蛉日記(974年)

紫式部日記(1010年)

更級日記(1059年)

 

カッコの中は、作品が成立したと推定される年(西暦)です。

 

 

 

Wikipediaで調べて並べましたが

 

この順番、

 

「古典の日朗読コンテスト」のHPで掲載されてる順番と同じ。

 

成立年代順だったのか・・・と改めて納得。

 

キラキラキラキラキラキラキラキラ

 

 

ようやく、4作品の原稿を作って、ひと通り読んでみました。

 

 

課題が発表されたのは先月の20日。

 

出遅れてますね、、、驚き

 

 

4作品のうち、共感が持てるのは蜻蛉日記かなぁ?

 

(心情、というか、心の持ち方に、っていう意味です)

 

 

更級日記も良いけど、

 

更級日記はワクワク感を持って読みたいので、

 

若い方にお任せしたい、感じ。

 

・・・個人的感想です

 

 

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 

 

さて、先日書いた記事に

 

「土佐日記や蜻蛉日記は歌があるので難しいですね」

 

と、いうコメントをいただきました。

 

 

はぁ、歌?・・・和歌ビックリマークびっくり

 

 

って、百人一首みたいな和歌・・・ですよね??

 

「蜻蛉日記」の

 

課題部分にある和歌は

 

 

「嘆きつつひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る」

 

まさに百人一首にある和歌ではないですか??

 

 

 

 

はて?

 

私、人前で百人一首を詠んだこと、あったっけ??

 

と、遠い記憶を呼び覚ましているところですネガティブ

 

 

う~ん、

 

「古典の日朗読コンテスト」的には

 

どうやって詠んだらいいんでしょ?

 

過去回の音声に残っているのでしょうか??

 

勉強不足、認識不足もいいところです魂魂

 

 

 

こんなサイトを見つけました

 

下差し

 

 

 

引用させていただきます~

 

古文(古典)の学習は、

「音読で始めて、音読で終わる。」を信条とし、

専修音読」「只管音読」の実践を旨とします。

ただひたすらに「音読する」ことです。

 

(中略)

 

古文は決して理解できないものではなく、

単語や表現にズレはあるものの、

現代のことばにつながる紛れもない日本語であることが実感できます。

つまり、古文を読むことは、

自身の身に付いた日本語を反省しながら、

新たな理解と表現を試みる機会でもあるのです。

 

古文を読む要領は、

小さな<意味のまとまり>で捉えて、

その具体的なイメージを心に浮かべながら読むようにすることです。

目の前の情景や事態をこころに<感じた>ままに書いた(語った)のが古文です。

 

私たちの日常会話でも、

文の脈絡などは気にせず、思いついたままに話すのが普通です。

古文は、そのような<語られたもの><話されたもの>が基調になっています。


文字の後ろには、作者の、また物語の人物の「声-おと」があり、

その声を丁寧に聞き取るように読むのが古文理解の要領です。

 

~引用ここまで

 

「古文も紛れもない日本語」かぁ・・・

 

 

ゴールデン・ウィークに読んだ

 

ドナルド・キーンさんの著書にも同じことが書いてありました。

 

1000年前から連綿と続いている言語は、

 

他の国では珍しいことだと。

 

 

そう思うと、

 

古典~ガーン 和歌~ガーン

 

と、震え上がらずに親しんでいきたいところです

 

それが「古典の日」の主催者様の意図でもあるんだろうし照れ

 

 

 

しかしあせるあせるどうしよう~和歌

 

 

(カバー画像はイラストACのフリー素材を使用してCANVAで作成しました)