おはようございます。

久しぶりにちゃんと寝たなーという感じがしますが。

起きたら全身の筋肉痛がハンパないです。

この2日間、日頃なら歩かせるのですが

そういった場でもないので

抱っこする機会が多く・・・

腕や肩痛いです。

 

 

*プレ企画参加いただいた方

ありがとうございました。

今週中には当選者の方

発表したいと思います。

お待たせして申し訳ないです。

 

 

さて、自宅に帰ってやっと

これは現実なんだなーと

思い始めました。

諸行無常だとは

思っているんですが

やっぱりふと考えて

しまいます。

 

 

数日前に父が死去しました。

死因は肺癌でした。

肺癌と分かった時には、

ステージ4

体力も落ちており、抗がん剤治療を受けることで

死が早まるかもしれないとの事。

本人も納得して治療はせずでした。

父は頑固なところもあったので、

先生に何度か告知されても、

自分は肺癌じゃないと

認めなかったそうです。

最終告知でやっと納得したようです。

その場に居た、兄・母は辛かったと思います。

そして、自宅療養。

ご飯もまともに食べれず、

体力も落ち、痩せて

トイレに行くことも大変で

自宅介護。

時には幻聴が聞こえたのか、

痴呆が出始めたのか

そういったことも言い始めたそうです。

 

そして、亡くなる数日前に

病院に入院することになったので

母、私達家族、姪っ子の7人で

お見舞いに行ったんです。

その時に自分の記憶の中の

父よりもかなり痩せてて

骨と皮。

呼吸するのもホントしんどそうでした。

痩せすぎて父の面影が無かったです。

酷いですが、その時に

心の中でもうお父さん長くないなと悟りました。

前から父の病気は治らないこと、

いつか人は死ぬ。

別れはあることは分かっていました。

 

その時には、目はうつろ、

耳も聞こえてるのかよく分からない。

手を握って、お父さん

孫の○○と○○が来たよーって

話しかけたり・・・

その時点で要介護4なので

自分たちにできることはなく、

長居もできないので

実家にそのまま帰りました。

その日の昼過ぎに

父の状態が悪いとの事で

兄と母が病院へ。

二番目の兄から電話があり、

いつ亡くなってもおかしくない状態で

お前も病院に呼ぼうか一番上の兄と

話してるけど、チビが2人居るから

お前は家で居なと。

結果、父の最後は看取れませんでした。

兄から聞いた話では、

最後は、苦しむこともなく息が途絶えたそうです。

今まで、沢山痛い思いしたから

私の中で早く楽にしてあげたいなと言う気持ちは

正直ありました。

亡くなったと聞いた時に、

悲しい思いはもちろんあるんだけど

お父さん、やっとしんどい思いしなくていいね。

お疲れ様という気持ちが出てきました。

孫たちがお見舞いに行った日の夕方

急変したので

安心したのかな?

 

自宅に父親が帰ってきて

死水の儀式をおこなったり

翌日が通夜で

その翌日が葬儀・告別式でした。

通夜も葬儀も次女がいつになく

ギャーギャーだったりで

途中で離席することが多く

まともに参加出来ずでしたが、

枕花の際に会場に戻ることができて

戻った際にオットが

今まで結婚して12年

出会って15年。

泣いてるとこ見たことなかったんです。

そんなオットが号泣してて

あぁー刻一刻と

父との別れが来てるんだなーと思うと

今までの思い出が込み上げてきました。

姉妹は、何が起こってるのか分からない状態。

火葬場での骨上げの際も

おじいちゃんどこいったの?って。

おじいちゃんはもう会えないよー

おじいちゃんはお星さまになったよーって。

 

葬儀会場に戻り、

四十九日法要も終わり、

一気に疲労が出てきてますが、

母や兄は、ここ2,3日はほぼ寝てないので

ホントにお疲れ様でした。

式があった2日間は、

他の参列者の方もいらっしゃったので

気を遣うことが多く、

自宅に帰ってから

悲しみがじわじわと

込み上げてきてます。

 

父には

感謝の気持ちとともに

お疲れ様と、

ごめんなさいという言葉しかありません。

父には、親孝行らしい

親孝行全くできてなかった。

お父さん

親不孝な娘でごめんなさい。

でも、孫の顔見せることができたのは

良かった。

 

お父さん

遠くから家族の事

見守っててください。

 

 

ありがとう。

お疲れ様でした!

あなたの娘に生まれてきたことが

私の誇りです。

 

*アメブロやWowでメッセージ

頂いた皆様

ありがとうございます。

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