昔のjwの人達は
知的な人達も多かった。
私の母親は、話しを作ったり適当に
アレンジしたりする人でした。
私は単純なので
母親の言う事を信じて友達に話すので、「akiちゃんは嘘ばっかり言っている」
と言われました。
母親は人の話しを、聞くこともできず、私は聞いてもらうために早口で話さなけれはなりませんでした。私は
落ち着きもなく焦りぎみの子供でした。
父親は正直者でした。
そんな子供でしたが、成績は普通に良かったのだ「イジメ」は無かったです。
高校卒業後は「都市銀行」へ就職することができました。
今70歳代なので、あの頃は大学へ進学する人は少なかったです。4つ年下の妹はだいぶ世の中も進み大学へ行きました。
妹は私を見ているので、調子良く振る舞っていたので、私から母親の悪口を聞くのを嫌がります。
私は母親に話しを聞いてもらえず、同じ環境の幼馴染と会社のかえりつるんでいました。銀行の友人に銀行を辞める事になったのは「友達」が悪かった、と言われました。
幼馴染には利用されたり操られたりしました。
(銀行時代の経験から「jwで学んだ、仲間と親しくする」を世の会社にも適用して再就職した会社の人達と仲良くすることにしました。今でも仲良しです。)
私は自転車で通える高校へ行きましたが、妹は私が就職していたので大宮へでなければならない高校へ行きました。よく大宮で友達とお茶してきたとのこと。妹の子供(姪)に
「お金が良くあったね。」と聞かれ「お姉さんにもらった」と言ったようです。あげてました。
話は戻り、母親は語彙も極端に少なく、
jwの2歳.3歳の子供が、「ぶどう」が沢山成っているのを見て「ぶどうが鈴なりに成ってる」と言ったのでした。
2歳3歳で「鈴なり」って言うんだ、他にも語彙が多かったです。
(わあー凄い、親が使っているのね)と思いました。あの家は「鞭」ってあったかな、無かったと思う。(アカデミック)な家だな〜
私が今まで遊びに行った家とは違いました。
ある姉妹がjwにはいろんな環境の人と知り合いになるから嬉しい。
と言っていました。
続く